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2010年12月 アーカイブ

2010年12月01日

インデアン・サマー2日目

朝から太陽の陽射しが強い。
午前中は何かと雑用が多くて踏み切れなかったが
午後一番に着替えてスーパー・カブに跨る。
行く先は今シーズン、最初にナメコを採取したポイントである。

2日続いた好天で道路は乾いていて落ち葉で滑る心配もなく
順調にアプローチをこなして林道を走ってみた。
果たして2本ある木はどうなっていたか・・・・

一本目は道路からよく見ればわかるほどの近さだがセーフ、
前回残してきた幼菌が大きくなっていてかなりの量が採れたものの
二本目は数日前に誰かが採った痕跡があった、残念。

先日、師匠と採った量に比べたらわずかなものだが
晴れた日の山散策は気持ちが良く且つ収穫がある喜びに山の神に感謝。


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最後のナメコかな・・・・

2010年12月04日

雪降ろしの雷?

昨夜からの強風と雷が本格的な冬の到来を告げているようだ、
ベランダに置いてある鉢や立てかけてあった板が倒れたりで夜半の嵐には驚いた。
小春日和の日が3日も続いたあとだから尚のことでもあり
これで気温が一気に降下して雪でも降ってきたら体調がおかしくなってしまう。

ついに6年ほど使っていたWin2kが稼動しているメインのPCが壊れた。
2日前にバックアップを取っていたのだがリカバリーが巧くゆかず
結局、HDDをはずしてサブのPCでなんとか復旧を試みて9割のデータは助かったものの
そのタワー型PCは諦めて、部品を外したあとは粗大ゴミにしかならない。
今後は動作確認用に1昨年買っておいたXP、Vista、Win7が同居するPCに乗り換えることにする。
最低限の役割としてメールや仕事に使う環境は整えたのでほっとするのだが
ようやくXPユーザーになるわけだが長年使ってきたWin2kへの愛着と信頼は強く、
しょうがないからノートPCのみで稼動させることに・・・
これから新しいPCにいろんなプログラムを設定せねばならないが、
機械は壊れる前提でデータのバックアップはこまめにやっておかないと
大変なことになることを、これで4回ほど味わったのであるから「バックアップ」に感謝!!
今回はスムーズにいったもののデータ量が多すぎてリカバリーに24時間もかかったから
今後は別の手法も考えねばならないだろう。

あまりの強風に3:30に目が覚めてしまい、珈琲を淹れて新聞を読み
こうして新しいPCでブログを書き込んでいる。
明るくなったら熱々のナメコ汁でも飲んで本格的な冬に備えた準備でもせねば・・・

追伸:8:00に外出して里山を見上げたら「黒禿の頭」が真っ白、「大力山」はまだ積雪はない、
    だいぶ雪線が降りてきた

2010年12月05日

まだまだ晴天が・・・

0泊2日の弾丸ツアーと称し、東京での「忘年会」を終えて深夜バスでの未明の帰宅、
同行したS氏と一眠りして11時に「大力山」へ向かう約束をして別れた。
なんと上京時に3本ほどほおり込んだ薪がまだストーブで熾火になっていたから
家の中はほんのりと暖かい。
すぐにベットに入り本格的な眠りに・・・・

さてかなり遅い朝食を食べてから約束の11時、妙に暖かい日差しのなか「大力山」に向かう、
駐車スペースには数台の車が停まっていたので
好天に誘われての登山客が多いことを確信して登りだした。
昨夜のアルコールが体中から滲み出して、2人とも汗だくである、
やがて早くも下山してきた老夫婦らしき人たちとクロス、
先行していた大きなザックを背負っていた男女のペアを追い抜き
頂上直下では単独の男性とクロスした。
久しぶりの多くの登山客と出会う休日である、やはり小春日和のせいであろうか・・・・

休憩舎にはなにやら山小屋を模した「ポスト」が鎮座していて
中にはノートが一冊入っていた、「森林組合の協力を得て云々・・・」のメッセージと
すでに今日の日付で1名の方が記録を残してあったので
その下に自分の感想などを書いてみた。

珈琲を飲みだしたころに先ほど追い越した男女ペアの方たちが到着、
世間話などしながら珍しく1時間も休憩舎に滞在した。
さて新潟からおいでになったその方たちと「カンジキ」の話でもりあがり
近々「手作りカンジキ」を譲ってもらう件でこのブログにたどりついたら
ホームページからメールでもくださいと説明。

豪華な昼食を食べ始めたお二人を残して下山にとりかかる、
とても12月と思えぬ好天の歩行であった。

2010年12月09日

詩句集「魔法は解けた・・・」

20代前半からの友人(女性)が詩句集を上梓した。
10年ほど前にこの魚沼を訪ねた頃にも「夢」として語っていたのを記憶していたが
実際に出来上がった「詩句集」を贈呈してもらい自分の事のように嬉しい。
当時はまだ上京したばかりで、高校時代から購読していた「抒情文芸」(旧「灯」)を
ベースにした「同人誌」の会に参加してからの旧い友である。
(なんとこの魚沼にも高校時代から「新潟支部」の一員として文学を語り合った友もいるのだ!)

月に一回、公的な集会場を借りての例会で予め決めた本の読後感想を発表しあったり
隔月に発行していた「同人誌」の作品の合評会をしていたのだが
楽しみはやはり新宿の西口、所謂「しょんべん横丁」の飲み屋の二階で
熱く語る人生観や文学論がなによりの貴重な経験であった。

結局、文芸誌の廃刊に伴って同人誌も消滅してしまい、会も解散したのである。
(考えてみたら皆、それなりの年齢になっていたのも引き金である・・・)
ただ当時は先鋭的な「同人誌」に参加している人たちもいたのも事実で、
30代から40代のバリバリのサラリーマン諸氏が書き上げる
その内容には近寄れず、難解でシュールな語彙に驚いていた記憶がある。

当時のメンバーは結婚をし、子育てを終え、そして人生の黄昏時に突入しようとしている。
そんな時に上梓した「誌句集」は友が書き溜めた「言霊」を旧い友人たちに贈呈したわけで
やるせなくも爽やかな心情がひとつひとつの言葉になっている。
なにやら40年前にタイムスリップしたような抒情の世界に陥っていい心持である。

2010年12月11日

冬の風物詩

我が家の冬の風物詩として「干し柿」「大根干し」「蕪菜漬け」「どぶろく仕込み」がある。
そのうち「大根干し」は終えて「沢庵」が、そして「蕪菜」が静かに熟成中、
「干し柿」も干し終えたものを冷暗場所に保存しておいたら熟成の証である「粉」が浮き出てきた。

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粉を噴出した「干し柿」

さて、「どぶろく」は数日前に仕込みを終えてやや温度の高い場所に放置して
「酒の酵母」が活性化するのを待っていたがようやく活動が活発になってきた。
1日2回ほどかき回すのだが、覆っておいたカバーを外すと甘たるい香りが漂い
もろみの表面からブツブツと酵母が米の糖分を食べてアルコールに換える時
に発生するガスが噴出してその音がする。

かき回したヘラを最後に舐めてみるのが楽しみで、甘みと酸味が熟成の指針であり
何時ごろに試飲するかの判断を決める。
そろそろ冷たい場所に移して長期熟成の時期であろうか・・・・
ビールの熟成と違って「どぶろく」はかなり寒い場所でも酵母が活動するから不思議だ。

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発酵中のどぶろく

2010年12月13日

インターネットの凄さ・・・

先日、どうしても探したい人の情報を求めて「人名」とそれに関係するキーワードで
検索をしたら見事にヒットして40年ほど前に少しばかり関係した人と連絡がついた。
残念ながらその方の現在の状況は知らないようであったが、それなりの成果はあった。
そして先週の土曜日に恒例の「里山詣で」をした際に休憩舎で会話を交わした
市内に住む(現在は単身赴任中)男性との四方山話のなかで当サイトの話をしたのだが
今朝方、遠い赴任先からメールを頂いた。
以前に新聞の広告特集に記事が載った際にも記事内のサイト名だけで検索をして
高校時代の友人からメールをもらったりしたから
ネット世界の凄さを思い知った昨今である。

自身はずっと業務系のシステム開発に身を置き、Web系は少しばかり齧っただけで諦めたが
最近はまったく新しい技術が標準化されていて、もう置き去りされた感もあるし
これからは開発者ではなく利用者として参加するしかないのかと思う。

これでクラウド・コンピューティングが一般化されていったらネットワークへの
依存度は限りなく高くなって弊害もいろいろ起こるだろう。
その点典型的な良い例が「ウィキ・リークス」であり、サーバーへのアクセス攻撃であり
されを支えるハッキング技術だ。

すでに小生の理解の限界を超えているアーキテクチャーなのである

2010年12月15日

師走は誰が走るのか?

政治は迷走、景気は低迷、大胆な強盗・殺人事件などがニュースになってばかりで
恒例の年末風物詩であるX’masとかボーナス商戦の話題があまり放映されないのは
今年だけのことなんだろうか?

それにしてもマスコミはどこのCHでも歌舞伎役者の酔っ払い事件ばかりをテーマにして
少し醜い、ちょっと前のビデオ流出事件の時と同じように熱が冷めたら
また別のスキャンダルを探すのだろうけどももう少しマシな報道しないのかね。
それと政局だと煽っているのはTVと政治家だけのような気がするし
言葉尻をとらえて「不快感」とか言っていながら昨今のTV画面に出てくる
政治家やTVキャスターの発言にも「不適切」なものは多くあるような気がするのは自分だけ?

今年もあと2週間そこそこでようやく「雪」が舞い始めた魚沼の里には
まだ本格的な冬の匂いがしないのは不思議である。
「雪」は降れば降ったで「水」がこないとクレームらしき言葉を撒き散らし、
降らなければ「どうしたんだろう」などと心配する、まことに人間は我侭だ。
大自然の営みには到底敵わないのだから甘んじて受け入れるしかないのに・・・

この時期、忙しそうに走っているのはどなたですか?
魚沼の民はゆらゆらとと世間に流されています。

2010年12月16日

漸く白い風景が・・・・

昨日の朝方に降り始めた雪は「春の淡雪」のような柔らかな雪、
一応、断続的に降り続いたものの今朝の積雪は10cmに満たない。
すでに八海山も姿をみせて薄っすらと日差しが雪雲の間から・・・・

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八海山と前衛の山

着雪注意報が出るほどの水分たっぷりの雪で電線や木々の枝に纏わりついたものが
ボタボタと落ちてくる様は気温が高い証拠なわけで道路の雪も消えてしまった。
スキー場には恵みの雪で、除雪業者には物足りない雪、
一般庶民はそこそこの雪なのであろう、通学の子供たちだけが元気だ。

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裏の里山・雪景色

気温が低くなって外気と家屋の気温差があると薪ストーブの活動が
活性化してゴウゴウと音を出し始めるのでやや空気弁をしぼってあげるのだが
快適な環境で暮らせるのは夏場の薪集めで汗を流した結果であって
自分の体力と単調な作業に耐えた精神に感謝する日々である。

2010年12月17日

また晴れてしまった・・・

道路はもちろん田畑に積もった雪もあらかた消えてしまってあっけない。
運動不足解消を兼ねて食料品の購入のために徒歩でスーパーまで
一般道を避けて田んぼの真ん中の農道を歩いてみる。
収穫を残したキャベツや蕪菜が消えた雪の中から顔を出していて
霜にやられたらダメージが大きいだろうななどと想いながら
青空が広がった昼下がりの農道散歩としゃれてみた。

家々の玄関先には除雪道具が整然と置かれて出番をまっている、
年の瀬を迎えた住宅街は静かであるが
来るべき豪雪を待ち望んでいるような気がするのは小生が感じただけであろうか。

カラスの大群が電線や木の上で下界を睥睨している。
小動物を狙っているのか、捨てられたごみを探しているのか
いずれにしても不気味な感じでヒッチコックの映画を思い出してしまった。

他の野生動物たちの息遣いはいまのところ感じないから、やや遅すぎた根雪の兆しに
餌不足で出没した熊などの冬眠はどうなったのか心配する・・・

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買い物途中で見た上権現岳

2010年12月19日

今シーズン最初のラッセル

S氏の39回目の「大力山」登頂と2人で一緒に買った「スパイク長靴」の試用を兼ねての里山詣で、
降雪があったものの下界はすっかり溶けていたし快晴の天候に鼻歌まじりの歩行になると思ったが
「下の船窪」あたりから積雪が増え始めて登山道脇の潅木が雪の重みで倒れかかっている。
途中までついていたカモシカの足跡はなぜか急な階段下で潅木帯に消え
ウサギの足跡も中腹でなくなってしまったが数日前に誰かが歩いた踏み跡がかすかに
窪みとなって残っているだけで新たに積もった新雪を掻き分ける醍醐味・・・
雪は軽いからラッセルはさほどのストレスはないものの倒れている枝から雪を払う作業に手間取り
休憩舎に着いたら汗びっしょりになっていた。

抜けるような青空と鳴倉山の斜面に生えた木々に纏わりついた雪がキラキラと輝いている様と
越後三山はようやく全体が真っ白になって師走に相応しい風景。
後続の登山客が続々と登ってくる中、恒例の珈琲を飲みながら暖かい日差しに背中をあっためていると
長岡から来たという青年が「もしかしたら、魚沼スローライフの方ですか?」と話しかけてこられたので
「そうです」と答えて毎回ブログを呼んでいただいていることへの謝意を伝える。
すっかり「大力山」が気にいったようで月に一度は登りに来ているとの事であるから
ぜひ冬の「大力山」の雪上歩きを勧めてみた。

下山時はすっかり踏み跡が付いた雪道を駆けるように下って快晴の休日を大いに楽しんだ。

追伸:長岡からの青年はそのまま縦走を続けたらしく、途中でR太郎氏と会ったことが
    R太郎氏のブログに書いてあった。
    R太郎氏のブログは以下のURLです。
    
ふるさと干溝


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休憩舎から三山

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トレースと市街地

2010年12月21日

すごいガス・・・

天気予報の「晴れ」を期待して10:00まで待ったがガスは消えず、
頬に当たる微かなガスの湿り気を感じながら歩き始める・・・。
昨日はほとんど歩かなかったので今日は郵便局往復を徒歩でやることにして
歩き始めたのだが11:00過ぎても濃い霧は魚沼盆地に居座っている。

どうも舗装された道路を歩くのは嫌いなわけで、無言で歩幅が広くなってしまう。
何時ものことであるが都会と違って歩道や道路脇を歩いている人は少ない、
車社会なのだからしょうがないという気もするのだが、概して地方の人のほうが
運動不足で成人病予備軍の人が多いのはいろんな場所で見受けられる。
仕事や農作業以外では野外を歩く事など時間の無駄使いと思って短い距離でも
車で移動する人が多いのだ。

郵便局から原信に立ち寄って食料品を調達しての周回コースは
約1万歩くらいで所要時間は用事を含めても2時間ほどの歩行であるが、
自宅にたどり着くと丁度、正午になったが結局、青空は姿を見せなかった。
これでは今夕からの「月食」は見ることができないなぁ・・・
2010年も残すところ10日となって、そろそろ本格的な冬将軍が到来しそうな
週間天気予報が出ているのだが、どうなることやら・・・・

明日は「冬至」だ、「南瓜」を煮て「ゆず湯」に入る・・・
そんな正しい日本人の風習を踏襲してみたいと思っている。

2010年12月22日

JAZZのことなど

年末ということでもないが久しぶりにJAZZのCDを整理した。
「クール・JAZZ・コレクション」(CD付きの小冊子)を定期購読始めてから
新しいJAZZ・CDを買わなくなったのと最近の演奏家のはどうも購買意欲が出ない・・・・

今年もJAZZの巨匠が何人か亡くなった。
2月にサー・ジョン・ダンクワース、5月にハンク・ジョーンズ、9月に谷啓など・・・
特に谷啓は軽妙にトロンボーンを吹きながらおどけていたのを思い出す。
最初の頃の「クレージー・キャッツ」でハナ肇がドラムの定位置から離れてスティックで
マイク・スタンドを叩いたり、谷啓がおどけながらトロンボ-ンのスライドで遊んでいる
光景が印象的だった、あのグループは実は立派なJAZZバンドだったのだ。

さて小生が一番影響を受けたのが「オスカー・ピータソン」さらに「ビル・エバンス」「サッチモ」と続く、
特にピアノ・トリオはいろんなセッションを聴きまくっていたものだ。
ピアノとベースの絶妙なハーモニー、ピアノとドラムの鬩ぎ合いなど
時には長いソロ演奏をしたり、思わぬ即興演奏をしたりの、ライブ版はいいな・・・
JAZZの歴史的には20年代のデキシーランドJAZZから始まって30年代から60年代の
JAZZは「スイング」から「ビパップ」へそして「モダン」へ、さらに「クール」へと
移行してゆくのだが小生はやはり「スイング」と「ビパップ」が好きだ。

冷たい雨が降る日がな一日、オンキョーのSPから流れるJAZZを聴きながら
本を読んだり、PCに向かったりしている。
曲sourceは数年前に衛星の某局で録り溜めたJAZZのCDを垂れ流しにしている、
1時間に1回CDを交換する怠惰なものである・・・・
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録り溜めたCD群

2010年12月23日

祝!!大力山40回登頂

前回のラッセル登山から数日しか経過しないのに雪はすっかり消えた・・・・
祝日の今日はよほどの天候でなければ登る約束をしていたので
小雨がパラついていたが朝食後に出発。
前回同様、スパイク長靴着用なので麓までは車で移動して、雨具を着込み
整然と雪が消えた登山道を歩き始めたが、雨具着用はやはり暑い!
すぐにフロント・ファスナーを開けて体温を逃がし始めたが
長袖2枚を着込んだ上半身はかなり汗ばんできた、やがて額から汗がポタポタ落ちてくる。

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雪が消えてしまった休憩舎前から市街地

途中も含めて休憩舎でもほとんど雪が消えていた。
昨日、冬至をおえたばかりの暦である、猛吹雪よりはマシであるが
冬の登山で雪がないのは少し寂しい。

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旨い珈琲が入る

汗に濡れたシャツを着替えるのに上半身、裸になっても寒さは感じない。
まずはとっておきの「響」をストレートで一口づつカップに注いで乾杯!
それと山の神へも指先で献上する。
恒例の珈琲が入る頃には川口方面が太陽の日差しで輝いている様子が窺われた。
この時期、天気予報で雨マークがでているのにたいした雨にやられずに
登ってきて、休憩後にまた穏やかに下ることができる満足感に浸りながら
年内最後の大力山を登り納める歩みを進める。

神社前で思いがけずにR太郎氏と遭遇、立ち話を終えてクロスした。
調べてみたら小生も36回目の大力山であった。
さて、来年は元旦登山が待っている。

追伸:幾人から質問があったがS氏の登頂40回というのは今年の元旦登山から
    数えて本年中の大力山に登った回数である。

2010年12月24日

再びの雪です

ようやく積もりそうな雪が落ちてきた。
だいぶ地表が冷えているのか、すぐに白くなり降り始めから1時間で
人の歩かない道路や畑などは1、2cm積もったようだ。
これから1週間は断続的に降る予報が出ているから年末年始はそれなりに
雪国らしい風景が見られるかもしれない。

ラジオではどの局も恒例のようにクリマス関係の音楽を流していてやや五月蝿い、
果たしてこの行事は日本が連合軍に統治されてから定着し、
右肩あがりの経済状況になった頃から国民的になってきたのだろうか?
米国では1年で一番国民が買い物をする時期であると言われているが
日本では家族内や友人たちの間でのプレゼント交換が盛大に行われている様子はあまり聞かない。
スーパーなどでも午後ぐらいからローストチキンやケーキなどが店頭で競うように売られているものの
翌日からはディスプレイが一斉に正月ムードに替わるあたりが面白い。
いかにも日本人的な風景である。

ちなみに拙宅ではほぼ平素と変わらぬ夕食になっている。

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ニンジンのヘタから出始めた芽を飾る・・・

2010年12月25日

降ったぁぁ・・・・

一晩で60cmほどの積雪、それもかなりの乾雪、
スコップやスノーダンプにペタペタと雪が張り付いて作業しづらい。
それに軽すぎる雪はスコップ作業では効率が悪く
ベランダに積もった雪はある程度、圧雪されてから処理することにして
玄関先を朝食後にスノーダンプで除雪していたら
拙宅の前にある農業用流水溝が道路を横断する埋設部分に
上流から流れてきた雪が溜まりすぎて溢れ出した。

例年、水が流れてこなくて融雪用としてあまり効果のない流水溝だったが
この数年は水量調整が上手くいってそれなりの流れが続いていた。
それでも年に何度かは(今回のように急に降ると皆が雪を流すから・・・)
下流の拙宅前は雪の塊が詰まって溢れる事が多くなった。
まあ、対応方法も慣れたのでなんとかなるのだが・・・・

明日一杯は降り続く予定だから2mくらいの積雪になるか?
スキー場はほっとし、除雪作業を生業にする業者も胸をなでおろしているだろう。
これで元旦登山の時にある程度雪が締まってくれればいいのだが・・

今2度目の玄関先除雪、さらに30cm、ベランダは1m近く積もっていた・・
今日のビールは美味いぞ・・・

2010年12月26日

豪雪・一休み

前夜の宴会が終わった頃には雪が止んでいた。
翌日までの積雪予測をR太郎氏は40cmと読んでいたが
果たして20cmほどで終わってしまい、今は青空が広がりつつある。
屋根に上がるのは少し躊躇するところがあって、
もう少し積もってからのほうがいかなと様子をみているのだが・・・・

酒井博士による予測グラフでは24日をピークにして26日には荒天は治まる予定なので
ほぼその予測が当たっているのがすごい。
もしその長期的な予測が正しいとすると1、2月はそれほど降雪はなさそうなので
安心してよいのやら・・・・

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再び雪に覆われた大力山

2010年12月28日

嵐の前の晴天

年内最後の晴天が今日だと思い、早朝から準備をして屋根に登ることにした。
太陽が八海山の陰から顔をだすと急に気温が上昇してきて雪が柔らかくなってくる。
まずは裏に出来た雪の山にアンカー用の剣先スコップを埋め込んで反対側の屋根から
垂らしたザイルをカラビナと平テープで固定する。

今日は雪もだいぶ少ないし暖かいので軽装で腰にボディ・ハーネスを装着して作業開始。
アルミのスノーダンプは軽くて作業効率が良いが硬い雪になるとやや不安が有り
鉄のほうが安定性や硬い雪に突き刺す時の安心感がある。

それほど広い屋根ではないので1時間ほどで降ろし終わって高いハシゴをヨロヨロと下った。
しかし、これからが本番なわけで、落とした雪の処理のほうが時間がかかる場合が多い。
それでも側溝の水はそれなりに流れていたし、雪が軽いので短時間で
全工程を終えることができた。
さあ、これで年末・年始に出ている「暴風雪」予報を安心して迎えられるぞ!

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日の出前の八海山

2010年12月29日

湿雪が降り続く

これこそ新潟といったような湿雪が降り続いている、
子供の頃はこれを「ボタン雪」と呼んだ。
こんな日は傘を開いて歩いているといつのまにか重くなって
傘の上を見るとすっかり積もってしまた雪がバサバサと落ちてきた。

この雪が夜間に凍結してしまうと始末におえず
車の轍は硬くなって車線変更もまんまならずに事故の元になる。
また溜まった雪を車が跳ね飛ばすと対向車や歩行者にすごい影響を与え、
時によってはこれも事故の元になったり歩行者は全身泥雪だらけになってしまう。

こんな日は外出を極力ひかえて
薪ストーブの前で本でも読むか厨房に立って料理でもする。
S氏からもらった「水煮筍」を和風で炊き上げたし、松前漬けも仕込んだ。
明日は昆布巻きを作ってストーブに載せ、鯛の昆布〆を作り終えると
ほぼ年末・年始の自分が担当する料理は終わる。

2010年12月30日

またまた小康状態

前夜からの雪は気になるほどは積もらなかったし
昼頃からは日が射し込んできた。
年末の支払いや最後の買い物に出かけたらもう夕方である。

昆布巻きはストーブの上でコトコトと柔らかくなるのを続けている。
キングサーモンの中骨を芯にして貝殻島の昆布を巻き、かんぴょうで結ぶのが我が家風、
今年は頂いた「銅鍋」で炊いてみた(多分、昆布の緑が鮮やかになる)。

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昆布巻き

松前漬けは昆布とスルメ(いずれも北海道産の厚物)、割り干し大根、ニンジン、青豆、
最後にカズノコの切れ子を少々、醤油と日本酒だけで味を調えて後は熟成を待つだけ。

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松前漬け

鯛の昆布〆は塩を軽く振った鯛の四半身を2枚、酒で柔らかくした昆布で包んで
冷蔵庫で2日ほど眠らせると刺身でよし、ちょい焼きでもけっこう・・・

今日は料理三昧、(昆布の消費が多い正月料理だ)
明日は読書三昧にしようか。

2010年12月31日

年越しの水

大晦日の朝方、小雪が舞い始めた中、「地蔵清水」まで水を汲みにゆく。
毎週末S氏がこの清水を汲んできて大力山で珈琲を点てるのだが
自分は先回の「どぶろく」仕込みにこの清水を使って以来の久しぶりの水汲み。

最近は立派な屋根ができたり、ペットボトル用とポリタン用の吐口が別に作られて、
すこぶる便利になったせいであろうかいつも誰かが水汲みをしている。
小出は「水の郷」と謳っていたし、水道の水も井戸水を使っていると聞くわけで
この「地蔵清水」も広葉樹と豊富な雪から生成された地下水が水源で
「中越地震」以降に急激に水量が増えたとのこと。

地球レベルでいうと日本は有数の水資源が豊富な国であるとのこと。
よく云われる「水と安全はタダ・・・」という概念はすでに無いだろうし、
現に都会ではコンピニやスーパーでペットボトルの水を買って飲むのが
定着しているから湧き水をそのまま飲める贅沢さは有り難い。

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地蔵清水の全景

About 2010年12月

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