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2010年11月 アーカイブ

2010年11月01日

晴れ間を見つけて・・・

曇天の天気予報だったが雨でなければ出発という予定なので
9:00には自宅前をS氏とザックを背に歩き始める。
前回の30回記念登山の時に比べたらずいぶんと秋めいてきて
公園の紅葉が鮮やかになってきた。

前日の雨で濡れた登山道はやや滑りそうであったが
半分はキノコ眼で歩くつもりなのでのんびりとした歩行・・・
途中で数日遅かったと思われる「あまんだれ」の株を発見して無念の二人、
ナメコの姿はまだ無いのでもう少し寒気がこないとだめかなと思う。

気温は高めで長袖で登った小生は汗だくになってしまう。
休憩舎ではいつもの珈琲をごちそうになり初冠雪が溶けた三山を見ながら
のんびりとするが他の訪問者は皆無。

青空が出てかなり黄色が目立ち始めた登山道を振り返りながら
年内、あと何度この大力山に登れるかなどと会話しつつ下山。
登山口ではR太郎氏の父上と偶然に会い、畑で採取したばかりの大根を1本もらう、
水分たっぷりの美味そうなものでさっそく夕食にと舌なめずり・・・・

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雨上がりの大力山中腹

2010年11月04日

猫の目のように・・・

昨日はせっかくの祭日だというのに一歩も家を出なかった・・・
未明の雷雨、明けては横殴りの雨で「文化の日」は読書三昧ですごす。
月刊誌は10月分をほぼ読み終わりアマゾンで購入した文庫本にも手をだしたが
雨音が気になってページをめくる速度が低下・・・。
結局、新聞を取りに出たのと薪を運びに出たのみで終日巣篭もり状態。

諦めていた翌日の(つまり今日)青空には驚いて
車の車内清掃や夏の名残である西側の「よしず」をようやく外したり、
脚立を修理したりで汗ばむほどの太陽のしたで外作業。

濡れた薪の残骸を畑横の腐葉土置場に捨てにいったら
気が付かないうちに、つい先日捨てたミズナラの丸太に「ヒラタケ」が・・・
だいぶ大きくなりすぎて虫が食べた跡があったが採取することにした。
このところの雨と低気温で成長したのだろうか、キノコの生長は早いもので
数日のうちに生育して終わってしまうから気が抜けない。

お昼はその「ヒラタケ」を入れたパスタにしてN氏から」もらった
「バジル・シース」をたっぷり含ませて美味しく頂いた。
あまりの晴天に食後の散歩ということで、いつもお世話になっている「借景」の
「響きの森公園」経由・散歩コースを紅葉を愛でながら歩く。
毎週、通いつめている「大力山」は益々彩りが濃くなって背後に見える
雪を頂いた三山とまことに良きコントラストで眼福を味わった。

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手の平大のヒラタケ

さて明日はまた時雨れて明後日は雨が上がったら「大力山詣」、
冬ごもりの準備は進んでいるのだが、まだ燃え上がるような紅葉の風景を見ていない。
今年はもうダメなんだろうな・・・・

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公園から見た八海山

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裏山にも紅葉が・・・

2010年11月08日

立冬

土曜、日曜日と汗ばむほどの好天に恵まれて冬支度の準備を試みたが
こう暖かいと雪囲いはまだ始めたくないので見回るだけにした。
紅葉し始めた「サルナシ」の木や栃の木をチェックしたが
「サルナシの実」はまだ完熟しておらず「初霜が降りる頃」
と云われている時期まで待つことにするか・・・・
栃の木は葉を全て落として、すでに来年用の蕾が大きく膨らんでいた。
枝豆はもともと来年の種子にするつもりなので抜いて干し上げた。
なんとハバネロはまだ花を咲き続けており、小さな実もけっこうな量が付いている。

3ケ月予報では11月は暖かな日々、12月は例年並の予報が出ているので
当分は降雪待ちの日々になるか・・・・

日曜日はS氏と恒例の「大力山詣で」、絶好の天気なのに人影が無い。
気温がけっこう低くくなったのでいい記録が出るのかなと思ったら
最初の神社で5分30秒と平凡な時間、それからが凄いもので分岐で15分を切り
階段下では23分弱で通過、結果S氏は30分数秒、小生は30分数十秒という好記録。

汗ばむ体をクールダウンしながら珈琲を頂き全山錦に染まった里山を愛でる。
ほんの1、2週間のうちに山全体が一気に染め上げられた。
コシアブラを中心とした「黄色」が目立つ今年の紅葉はカエデなどの樹木が少ない
里山を黄金色にしている。

数えたら小生の「大力山詣で」も27回を迎えた、
その他の山行を加えると40回ほどの山通いを数えており
すでに還暦をすぎた体には無理はしないようにと思っているのだが
体を動かして汗をかくのはいいものである。

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大力山山頂付近の赤

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鮮やかな黄色

2010年11月12日

閑話雑感

経年する毎に進化するIT環境に対応する為
顧客は常にハード・ソフトともバージョンアップを強いられるわけで、
そこで新たな仕事が生まれて小生も上京することになる。

企画から製造、納入・指導まで請け負って、製造は社内の他のメンバーに依頼したものの
企画と納入・指導は自らが担当した。
運悪く「みなとみらい」はAPECで厳戒態勢の環境下
電車移動のネクタイ姿は警備の警察官も一応はフリーパス、2日間とも尋問はされない。
それでも仕事先がメイン会場のパシフィコ・横浜から数百メートルの
クイーンズビルなので不審な挙動は厳禁で
昼食もIDカードをぶら下げた客先の社員と同行する始末・・・・。

全国から召集された警察官が出身県警のユニフォームを着て警邏している。
新潟県警だったら「方言」で話し掛けようと思ったが居なかった(半分冗談・・・)

ついでに訪問した横浜市内のクライアントは最寄駅から送迎してくれたものの
期間中の車での移動は自制していて大変な迷惑だと云っていた。
結局、警備経費と地元の経済活動に与えた金額はいかほどのもので
APECを開催することでの国益はどれほどのものか。

また、このタイミングを狙ったとしか思えない海上保安庁のネット動画公開と
警察・公安部の機密流出は「時の政権」への官僚組織のいやがらせか?
それにしても個人の思慮が劣化しているとしか思えないし
動画のネット公開をマスコミや評論家が好きなように評論したり、
国会では言葉尻や揚げ足取りを嬉々としてやっている野党の連中のレベルも低い。
(もともと政権担当していた頃の自分たちを省みないのかな?)
もともとIT業界ではネットワーク利用に問題提議をしていて
利用者側に強い道徳観を求めているのだが、実際は自分の観念でしかものを考えていない。
公務員が情報漏洩したら、そこから派生する影響を熟慮すべきで
まったく稚拙な行動としか思えない。(英雄視する人たちもどうかね・・・)

経済が疲弊し、雇用問題や諸般の問題が山積なのに、
もっと政治家やマスコミが果たす役割を自己分析して行動すべきなのに
目立ちたがりの政治家はTVに出てさかんに発言をする、
その発言に責任をもてればいいけども立場が変わったら君子豹変するのかな・・・
コメンテータと云われるTV世界で食べている人たちのお追従発言にはうんざり。
たまたま上京する機会があって都心を歩いていたおかげで
いやなことばかり考えてしまった。

帰郷して魚沼の山々を見たら葉が落ちて白っぽい幹が目立つ山肌が広がっていた。
もうすぐ白い季節がやってくるのだろう。

2010年11月15日

落葉始めた里山

黄砂混じりの曇天であったが、やや遅く里山へ出かける。
もう半袖のシャツだけでは肌寒いので先日購入した長袖のヒートテックもどきを着用、
それでも歩き始めると額に汗が滲み出す。
もう「クモの巣」払い用の枝は不要となって、落葉が登山道を埋め尽くした なかを
キノコ眼になりながら歩いていた。
久しぶりに新たに整備された「下の船窪」の尾根道コースを歩いていたら
出口付近でヤマドリのオスが足元から飛び出して逃げていった。
長く、美しい尾羽が印象的である。

「上の船窪」の中ほどで見通しがよくなったせいか老木の根元から
やや遅くなった「あっかぽ」(シモトリダケ)を発見。
いよいよ晩秋から初冬に出るキノコが出始めたらしい。

休憩舎でS氏が珈琲を淹れ始めたら遅れていたR太郎氏が出現、
荒い息をしていたので驚いたら、相当な速度でとばしたらしく
30分ちょっとの記録が出たと云ったいた。
3人で珈琲を楽しみながら雑談していると単独のご婦人が到着、
「大力山遊歩道祭り」で登る「大滝コース」の話などしてR太郎氏が説明していた。

下山は3人で里山に生える植物の話などしながら下ることになったが
途中で大きなザックを背負った2人連れとクロス、
そのザックに豆粒ほどの「ナメコ」が入った袋がぶら下がっている・・・・
「やられましたね」と小生、「まだ小さいのに・・・」とR太郎氏
2人が知っているポイントをチェックするとマッチ棒の頭くらいの幼菌が出始めていたし
登山道横の老木には子指大のものが木肌に隠れている。
圧巻はR太郎氏が昨年発見した木にはびっしりと幼菌が・・・・・

果たして今週土曜日の「山仲間・忘年会」で飲む「ナメコ汁」に間に合うか・・・
願わくば、誰にも見つからずにこの数日を過してくれればと願う。
暮れてゆく晩秋の里山を3人を登り終えて振り返るとブナの紅葉が見事だった。

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ナメコ幼菌

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ブナの紅葉

2010年11月17日

晴れた日のナメコ探し

朝方、電話で外出を促される。
天気が快方に向かった昨日の夕方に「キノコ採り」の名人と友人が
昨年の初冬に大収穫のあった場所に出かけて、その入口付近で
それなりの収穫があったから今日はその奥の場所に行こうとのお誘い・・・

10:00に出発ということで準備する。
今回は最初から高所用の高枝カマを用意してみるが
ヤブこぎでは邪魔になることは覚悟しているものの、
もしも高い場所に良品があって届かなかった場合は再訪する機会もむずかしく
結局、あきらめることが多いので今回はあえて持参してみた。
(1ケ所のみ、その高枝カマが活躍・・・)

昨年と同じ木にはほとんどナメコの姿はなく、あきらめて相方の居る尾根に向かって
沢を越えてヤブこぎをしている途中にビンゴ!!
まだ元気の良い「ナラ」の根元に笠の開いたものと小振りのものとが
同じくらいの量出ていたので、思わずガッツポーズ!

結局は大漁はこの株だけで終わってしまったが、里山にもそれなりに「ナメコ」シーズンが
到来したのだと確信する次第。
夕食には小粒のナメコを湯がいて大根おろしと合えて頂く、
自らが収穫した自然からの恵みを食することができる事に感謝した。

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食べごろサイズの大型ナメコ

2010年11月22日

ちょっと早い「忘年会」

山の仲間が集って「須原の山小屋」にて忘年会をした。
今回はこの夏に「大力山」で行った「星空コンサート」にも参加した
R太郎氏が新たに加わり、斜向かいに住むザ・調理人のY一氏も特別参加した。
見事な手際で「寄せ鍋」の準備と幾皿かの料理を作り上げるプロの技に
小生は採りたての「ナメコ」のごみ取りをするのみで厨房には立たないですんだ。

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良く燃えている暖炉

男6人が集う宴の席はなかなかシンプルなものであるが
美味い料理がテーブルに溢れるばかり並んで箸とビールグラスが乱舞する。
やがてS氏のギター演奏が始まり、暖炉の火がガンガンと燃えていて暑いほど。
カラオケの特別ステージも準備を終えていて、宴ももりあがってきて
ビール、日本酒、ウィスキー、ワインと酒豪達ののみっぷりは見事だ。

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鍋が出る前の食卓

6:00頃にスタートした宴は午前2時まで続けられた。
7:00過ぎに目覚めるとR太郎氏がそわそわしている、
昨夜、報告した前回発見し様子見をしていた「大力山」のナメコが全て採られていた件で
他のポイントが心配でとりあえずチェックに出かけると出発した。
お目覚めはS氏が珈琲を淹れて、小生はナメコ汁を作った。
洗物や跡片付けを終えて小屋を去るときには気温も上昇してきたので
とりあえず11時に「大力山」へ向かうことにしてS氏と別れた。
Y氏もO氏もそれぞれの車で帰宅、一夜の宴はかくして夢のような・・・・

やや重い体を持ち上げて汗だくになりながら休憩舎に着くと
群馬から来た単独行、追い越した2人連れの中年男女など久しぶりに賑やかだ。
下山に取り掛かる頃にはかなりの年配の夫婦らしい2人が登ってきた。
この日が最後の小春日和の休日になるのだろうか、
落ち葉が足元でカサカサと乾いた音をたてていた。

2010年11月25日

三島由紀夫

今日は三島が市ヶ谷の自衛隊・市ヶ谷駐屯地(現:防衛省・本庁)にて割腹した日である。
当時は神田の事務所で働いていたからTVでニュースを見て驚いた、
なにしろ市ヶ谷、四谷界隈は仕事でよく通ったし三島の作品もよく読んでいたから・・・

総監を監禁、クーデターを促す演説、割腹、断首などの現実と
多くの文学作品を上梓しながら「盾の会」を首謀する愛国主義者であったことのギャップ
そして自らを昇華させた事件であったと記憶している。
クーデターといえば5・15事件、2・26事件との繋がりは果たしてあったのか?

5・15事件では護憲派の「犬養首相」を一部の青年将校が銃殺したものの
軍法会議でなく一般裁判で裁かれて軽微な量刑に、
方や2・26事件は青年将校が時の政府の政策と世情に対する不満から
要人達を弾劾すべきと隆起したものの失敗して、これは軍法会議でほぼ全員の将校は死刑。
同じクーデターのようで背景にある事情で異なった裁判方式がとられる。
しかし三島は全く異なる結論を選んで自決した。

性質が違うものの「沖縄返還密約・漏洩事件」で公務員の守秘義務違反等が争われた裁判と
(結局、近年・密約があった証拠が出たが機密漏洩と密約の事実は判決に影響しないとの判断)
「海上保安庁・ビデオ流出事件」の英雄気取りとそれを褒め称える大衆・マスコミの危うさ
それらを対比をしてみるのはやや乱暴な話であろうか。
きっと三島由紀夫は彼岸の地で嘆いているだろう。

興味があったものの読む機会に恵まれずにようやくAmazonから取り寄せて
数日前に読了した森詠の「黒の機関」は戦後のGHQと戦時中の「xx機関」と云われる
諜報機関との関係、そして記憶にまだ新しいロッキード事件までを紐解いている。
近所に戦時中に市ヶ谷の「航空本部」で軍属として働いていた人が生存していて、
(まだ少年であったが当時は小間使いとして働いていた)
終戦間際と終戦後の担当の高級士官の不可思議な行動をよく覚えていて
語ってくれる当時の話と本の内容に一致点が多く納得する。

歴史上の事実が物語っている自衛隊がGHQの指示で「警察予備隊」として
旧陸、海軍の将兵を中心に創立され、「特高警察」は「公安警察」、
「XX機関」は「内閣調査室」へと看板を架け替えて存続していると書かれている。
戦犯として巣鴨プリズンに収容されていた一部の将官や軍属が解放された背景と
米国との安全保障条約の締結、対共産国諜報密約、当事者が墓の下に行かれたが
米国に保管されている資料はパラパラと公開されている。
日本側の機密書類は恐らく破棄されたり永遠に公開されないだろうけど・・・

三島由紀夫の自決事件と「黒の機関」読了が引き金でいろんな事を考えた。

2010年11月27日

落葉の大力山

諦めていた晴天が土曜日に予報されたら
前日に予想通りS氏からメールが入って、
太陽が顔を出した頃に出発ということで約束した。
歩き始めは長袖のシャツにパーカーを羽織るほどの冷気、
それでも登山口まで歩くと体が温まってきてパーカーとベストを脱ぐ。

雨上がりの登山道は落ち葉が堆積して滑りそうな気配、
それでも尾根に出た頃は陽射しが快くて歩行も順調・・・
葉が落ちてしまうと潅木帯の見晴らしがよくなって
いろんな物がよく見えてしまう。
たとえば・・・・(内緒)

休憩舎では珈琲を飲んだあと珍しく太陽を背にする側に移動して寛ぐ、
それほど気温が低いわけで、つい先日までは汗を吸ったシャツを脱いで
しばらく上半身裸ですごしたのがウソのような季節の移ろいである。
下降では再びベストとパーカーを着込んでグローブも着用するほどだった。

これが晴れた日の最後の「大力山詣で」になるのだろうか?
今日は誰にも会わずに登山口に着いた。
晴れた日の休日は作業が山盛りなのだが、今日は作業項目が減って
雪囲いもタイヤ交換も終わり後は沢庵用の大根干しが残っているのみ、
2、3年前から薪ストーブの上に干し上げるので乾燥は速く便利になったわけで
あまり天候を気にする事無く工程が組める。

今夜は自治会の有志による一品持ち寄り「忘年会」
小生の一品は最初の回に「ナメコ汁」を作ってからやや恒例になりつつある。
採れているうちは良いのだが・・・・
さて、そろそろ汁の準備に入らねば。

2010年11月28日

師匠と出陣

前夜の忘年会でやや遅くまで飲んでいたせいか
いつもの時間に目覚めずに朝方の電話で起こされた。
なんと、もう7:30になっていた、電話の主は「ナメコ採り師匠」のS井氏である。
先日、車で通りかかった折に声をかけて頂き、今年も例のナメコ・ポイントに
ご一緒しようという話した事を覚えておられてのお誘い、
小生はまだもうろうとした状態なので用意ができたら電話するということで
とりあえず受話器を置く。

あまり食欲はないものの、どうにか朝飯をかき込んで作業用のオーバーオールと雨具を着込み
小雨が振る中を愛車(スーパー・カブ)に跨ってS師匠の自宅を目指す、
そこからは師匠もスーパー・カブで先導してもらってポイントまでの雨中のドライブ。

バイクを停めた場所からすぐに山の雑木林は始まって
かなりの急斜面を師匠はグイグイと特殊工具を片手に登って行く、
小生は飲みすぎの重い体を持ち上げながら後を追ってゆくわけだが
師匠はすぐに最初の木を発見、そこで少々採ったがすぐに移動して次々にナメコを発見する
そして3本目の木では師匠曰く「今シーズン最大の群落にありついた」・・・・
思わずお互いに歓声があがって、師匠は見事な群落をいろんな角度からシャッターを切り、
次は記念写真を撮ったり、小生が採取するシーンのモデルになったりと・・・・

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ナメコ群落・その1

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ナメコ群落・その2

その後、数本のナメコ群落と遭遇して、ついにはザックに入りきらないほどになったので
最奥のポイントまで行かずに下山することにした。
なんという幸運であろうか、時期もピッタリでナメコの型も最高のもの。
師匠は幾度も足を運んでチェックしていたらしく今日という日が最良のタイミングを
図ったような「ナメコ採り」であった。
感謝!!

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ナメコ採取・その1
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ナメコ採取・その2

2010年11月30日

小春日和・インディアンサマー

どうしたのだろうか?
下越では雪降ろしの雷らしきものや霰でだいぶ被害があったので
魚沼でも霙か降雪を覚悟していたら、爽やかな晴天の一日であり
ぬけるような青空が広がって用がなければ里山へ足がむきそうな誘惑。

降雪時の準備を整えて用意をしていたので拍子抜け・・・
そんなところに糸偏で生計を立てている友人のK氏が遠路、新潟市から
ブランチを置く群馬への移動途中に「珈琲を飲ませて」と電話があって
久しぶりの懇談、昼食と相成った。
結局、彼が作った毛糸を来春用のセーターにと購入し
無理矢理、家人に製作を押し付けた次第であるが、ニッチの世界で
生きている人は力強いと感じたひと時でもあった。

さて夕方は早くも「どぶろく用」の酒精をその道の師匠が持参して
本格的な冬の訪れを形だけが先行する日々となっている。
暦はもうすぐ最後の月を示すわけで、あと1両日続く晴天をどんな風にすごすかが問題、
暖冬なのか、豪雪の予想に準備するのか悩ましい昨今である。

沢庵漬け用の大根を購入して葉を落とす際にその中心部分にある
一番若い葉の部分を数本づつ取り分けておいて当座の調理用に使った。
今朝は茹でたものをお浸しで、夕方には多分今シーズン最後になる「糠味噌漬け」に、
例年に比べて約3倍の値段がついた大根であるが、「沢庵漬け」は儀式のようなもので
「蕪菜漬け」とともに魚沼の冬には欠かせぬ風物詩でもある。

薪ストーブの上では「ナメコ採取」の際に採った「ヒラタケ」が「佃煮」として
ゆっくりと濃厚な味を成熟させているし「蕪菜」は倉庫で荒漬けの途中である。
準備が整っているのにこの晴天はなんなのか?

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