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2010年08月 アーカイブ

2010年08月02日

丹後山から中ノ岳縦走(その1)

長い間の懸案であった「中ノ岳」に登ることが出来た。
それも十字峡から「丹後山」まで登り、丹後山避難小屋に1泊して
翌日は「中ノ岳」まで縦走して再び十字峡に下降するループ状の山歩きであった。

同じ町内に住むS氏は以前に「中ノ岳」「丹後山」とも訪問した経験有り、
彼の会社の同僚達を含め今回特別参加した小生の山仲間N氏と小生は初めての山域。
地図を見てもネットでの記録を見ても長い・きつい登りが待ち受けているコースであるし
今の時期は水の消耗も激しくて(コース全体に水場は無い)荷物が重くなる。

そんな、やや気の重い山行であったがいずれは登らねばいけない山なわけで
プラス志向で荷物をパッキング、最後はシュラフを出してシュラフカバーに切り替えた。
水は5L+500cc(それだけで5k超)、体重計で量ったら15kを超えていたので
久しぶりに肩にずっしりとくるザックであった。

前夜は横浜からN氏が来訪して拙宅に泊まり翌早朝の出発に備えることになり
翌朝4:30、すっかり明るくなった魚沼の里を出発して「三国ダム」へ向かう。
ダム管理事務所にて塩沢在のY氏、湯沢に単身赴任中のO氏と合流し
1台の車に乗りあって十字峡へ、すでに数台の車が泊まっていた。

まずは十字峡から渓谷沿いに40分の林道歩き、
渓谷の水は瑠璃色の淵や白い飛沫を岩に打ち付けて流れる姿を見せてくれるし
斜面から落ちてくる滝はいかにも涼気を振りまいている。
体感温度は20度を幾分上回ったぐらいか、最初の急登で汗が滴り落ちる。
1合目の手前でS氏が先頭を歩くことになってY氏O氏を挟んで
小生は4番手を歩くが早くもN氏は遅れ始めた。
今回は一本道だし、荷物の重さ、体力、体調に差があるので個人のペースで
歩くことにしていたのでゆっくりと歩きつづける。
樹林帯は陽射しも届かないしガスが濃くてまあまあの体感温度であったが
5合目まではかなりの急登に足が前に進まず体力の消耗が激しい
ジャコ峰を過ぎたあたりで森林限界を超えた風景はササ原に変わり
ガスの合間から太陽の姿が見え始めると気温も上昇した。

こんな風景は巻機山とか会津駒に似ているなぁと思いながら
たおやかなササ原をトボトボと登り続けていた。
足元には「タテヤマリンドウ」、ゆるい谷側にはキスゲやコバイケソウが咲く
やがて巻機山と丹後山との分岐を過ぎると小屋は近いようだ。
草原の彼方に小屋の赤い屋根が見えたときはホットしたのが正直な気持ち。
なんとか正午前に到着した。

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たおやかな稜線

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コメツツジ

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タテヤマリンドウ

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丹後山避難小屋

2010年08月04日

丹後山から中ノ岳縦走(その2)

クマ笹の草原の中にポツンと立つ避難小屋は瀟洒で且つ清潔に保たれていて
今まで見てきた避難小屋のなかでもかなり上位に値する。
(朝日連峰、飯豊連峰の避難小屋が最高だったけど・・・・・・)
屋根から天水を集めた大きなポリタンクが入り口付近にあって
いかに水が少ない山域であるかを物語っている。
ちなみに訪問客が少ないせいかポリタンは満水状態で水の温度も冷たかった、
生で飲むのは少し抵抗があったが煮沸するなら問題なさそうだ。

すでに早く着いた連中はすっかり寛いでいたわけで
小生もザックを放り出して登山靴を脱いだ。
とりあえず今日はもう歩かなくていいわけでその開放感が嬉しい。
小屋の中は涼しくて汗ばんだままでは冷えが心配だ、
皆はすっかり着替えていたが、小生は着替えるものを持参していないので
体温で乾かすことにしてフリースを羽織る。
下界は暑くて大変だろうけどここでは寒さを心配する・・・・

さて、早くも「お昼」兼「宴会」が開始されて
凍らせて持参したビールやら箱パックの日本酒やらが続々とザックから出てきて
行程中の話や四方山話に花が咲き、到着が遅れているN氏を心配しつつも
冷たいビールが喉を通過していった。

結局、小屋は我等の貸切状態で1階に3名、2階に2名の超贅沢な陣地を確保した。
小生とN氏はマットとシュラフカバー、それに小屋にあった毛布を借用したが
他の3名は立派なシュラフだけで寝たようだ。
早めの夕食も終え、寝酒も切れてしまったのであとは寝るだけで
19時にはそれぞれがシュラフにもぐり込んで翌日の縦走に備えた。

山での眠りはいつも浅く、深夜に降った雨の屋根を強く叩く音や誰かの鼾の音
そして自らの寝返りの度に眼が覚めるのだが3時くらいまではなんとか断続的に寝れた。
窓からは月の明るい光が見えている、そして4時には起きて皆にも起床の号令を掛けた。
朝食は各自自由でパンやカップ麺などを食べて着替えやパッキングし直し、
予定の5時には出発できなかったが朝露と昨夜の雨の残雫がたっぷりある
草原を「大水上山」、「兎」、「小兎」と越えてやや水平歩行に近い縦走路を歩き始めた。
「大水上山」あたりの雪渓が利根川の水源と云われ、この一滴が関東まで流れ
流域を潤し太平洋に流れ出ることを思うと感慨深い・・・
ちなみに尾根を越えた渓谷は魚野川に流れ込み、信濃川と合流し日本海へ
その分水嶺の尾根を歩いているわけでファンタスティックだなぁ・・・

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利根川水源の石碑

ものの5分で下肢はぐっしょりと濡れ、ガスが濃いなかの歩行であったから
ミストサウナの中のような感じで「利根川水源」の石碑を越え、後退する雪渓の
脇に咲く高山植物の花達を横目で追いながら歩き続けた。
最後の「中ノ岳」への登り返しは視界が無いなか、次から次に現われるピークに
これが最後かと「期待」と「落胆」の繰り返しで足取りは重くなる。
ようやく十字峡への分岐に出たところでザックをデポして水とカメラのみを取り出して
頂上に向かうと先行した3人は記念撮影などして待っていた。

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ハクサンフウロ
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登山道にハミ出して咲くニッコウキスゲ
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縦走路脇の残雪と咲き始めたコバイケソウ
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濃いガスの中で咲くハクサンコザクラ

越後三山のなかでも最高峰である「中ノ岳」の頂上に登り着いたのだが
視界がほとんど無いので感激はあまり無かった。
N氏をしばらく待つが、小1時間待ってあきらめ十字峡への分岐まで戻って待つことに・・・
幾度となくコールをしたが答えがなく、皆がやや不安がるも
彼は彼のペースで歩いていることを確信していたし、
道に迷う場所もなかったから小生はさほど心配はしないで
気長に待つことにして、皆には先に行ってもらおうかと思っていたら
ようやくN氏がガスの中から現われて、安心した3名は先に下降に取り掛かった。
小生もN氏の様子を伺って少しばかり立ち話をしたら彼はザックを置いて頂上を往復すると云う
それではと小生も一足先に下降することにした。

この頃から日帰りで「中ノ岳」を往復する猛者たちが続々と登ってくる。
数名の人たちとクロスしたり、情報交換したりで下降は気楽だ。
途中で登山道を草刈機で整備している数名の人たちに謝意を伝える。
また先行したS、O氏に追いついてからは併行したり先行したりで
心配した左足小指の靴擦れを気遣いながらグングン下った。

5L持参したペットボトルの水はついに1Lをきってしまい
ウメボシも3合目で食べ尽くした。
高度が低くなると気温が上昇し汗が流れ落ちるものの
不思議と疲れは感じないで足の指先だけに気持ちがいってしまう。
三国ダムと道路が見え始めてからがまた長く感じたが
最後のコンクリート階段に取り掛かった時はさすがに
足取りが軽くなって小走りになってしまった。

長い2日目の行動時間、ほぼ9時間ほど歩いていた事になる。
三山縦走はできないものの個別に登ったという事でとりあえず満足しよう。
自宅に帰りついて飲んだビールの美味かったこと・・・・

丹後山から中ノ岳縦走(番外)

下山した翌日に久しぶりに関東地区へ「出稼ぎ」
それなりに「クールダウン」したつもりだったが下山時に使う筋肉が痛い!
それは階段を降りる時に如実になって魚沼に居るときよりも歩く事が多い
都会での仕事は階段が多くてつらい・・・・
若いときから極力階段歩きを心がけているので逆療法という事で
「歩く」わけであるから尚「痛い」けど、それが快感(ちょっと危険?)

同行したN氏と逢う予定になっていて、昨夜は妙齢のご婦人を加えての会食、
お互いに筋肉痛を労わりながら反省の弁解をご婦人の前で吐露。
彼女はジョギングはもちろんサーフィン、バイク(ままちゃり?)、JAZZダンス、ボルダリングを
軽やかにこなすスーパーレディなわけで、おじさん達は尊敬してしまった。
なにしろストレッチだけでけっこうな時間を費やしたり、呼吸法の事なども
適宜な助言があったりして・・・

帰りの車窓でかすかに丹後の山並みは雲の中に伺われたが
あんなところまで登ったのだと驚異して再び「魚沼の民」に戻った。

2010年08月06日

ついに出ました摂氏37度の小出酷暑

昨日は所用があってバイクで1、2度外出したが
陽射しと焼けたアスファルトの熱気はすごいもので、それでも
まさか午後に37度になっているとは思ってもみなかった。

クーラーを設置していない家の中は当然熱々で2Fの家具などは
触ると思わず「熱い!」(大げさかな)と思うほどの熱気・・・・
フェーン現象と云われているけど久しぶりの熱波である。

今朝は厚い雲に覆われていたので今日はなんとか気温が下がるかと思ったら
10時にはまた太陽が容赦なく照り始めた。
今年初めてのJA湯之谷で「枝豆」を購入してみた。
今回は4種類(というよりは4人の人が作った)の枝豆を2束ずつ買って
それぞれ別に茹でて味見をする。
枝豆に関してはよくやるのだが、気に入ると次回からは同じ人の物を
選んで買って見たりするのが楽しみ・・・。

今回は外れはなく、それぞれ特徴があって面白い。
粒が大きくて香りがあるもの、小粒だが甘味があるもの・・・
今夜は山盛りの「枝豆」をワシワシと食べて暑気払いをせねばならない。

2010年08月07日

立秋そして・・・

暦は「秋」を迎えたというのに暑さは衰えない
昨日の朝市(JA湯之谷)で買ってきた「サツマイモ」のツルを使って
懐かしの一品を作ってみた。(まだ幼い頃に母が作った油炒め・・)
戦後間もない頃は食料不足もあって「甘藷作り」は盛んで、そのイモだけでなく
蔓から間引いた新しい葉の柔らかい部分を食べさせられた。
当時は美味いものだと感じておらず、あの独特の食感や風味が嫌いだったが
食料が豊富になった昨今、あえて食べられる物を食い尽くす意味で
昨年あたりから実験的に調理するようになったわけである。

昨日は8:15に広島の原爆慰霊の黙祷を終え
NHKの7:30から吉永小百合が訪れ、語る広島被爆犠牲者に纏わる特集を見た。
相変わらず上品で清楚なたたずまいといい、
インタビュアーとして関係者と会話する態度といい、
また淡々と朗読する姿はさすがに稀代の大女優だと感心する。
因みに彼女は小生よりも数歳年長である。

2010年08月10日

Mt.Fuji Summit

今までの登山の中でも数えるほどの悪天候での登頂であった。
魚沼を早朝に出発する地元観光会社が企画するツアーを利用した。
お盆の帰省ラッシュが始まった休日の高速渋滞にも捕まらず
富士山五合目に到着したのが正午前で、その後昼食の後に「富士山ガイド」が
紹介されて13:00いよいよ出発となったが生憎の天候でGASが濃く視界は悪い。

歩き方の注意事項にあったようにまさに牛歩の歩みでダラダラと歩くのだが
結果的にはそれがよかったのだろう、ほとんど疲労は感じない。
あまりのノロさにガイドと世間話をしながら気をまぎらわしたりしてゆくが
岩場などで前を歩く人たちが少しでも立ち止まると渋滞している列はさらに渋滞、
まるで年末・お盆の高速道路渋滞と同じだなと思った。

半袖・短パン(下はCWX)でも暑くも寒くもなく汗もかかないから
思ったほどの水分補給もしないですんだ。
出発前に1Lの水をザックから取り出したのだが正解だった。
(全部で真水1.5L、アミノバイタル1Lで出発したが真水1L余った)
30分に一回ほどの小休止をとりながらの歩行は楽チンである。
それもで3000mを超えると岩場の一歩がやや重くなるから空気の薄さは
身体が正直に受け取っているのだろう。
約5時間半で8合目の小屋(3250mの元祖室)に到着、時間も18:30で
夕食は19:00と云われて案内された寝るスペース(面積は肩幅と身長のみ)
でザックを広げて身づくろいするのが精一杯の時間。
夕食は定番のカレーで味は可・不可なく腹に治まる。、
(晩酌は持参した缶ビール500mLと生胡瓜、チーズなど・・・)
出発は23:00起床、30分後には頂上を目指すというアナウンスがあって
仮眠というか横になるだけというか食べてすぐに床についてトロトロする。

さて23:00前にトイレにゆくも雨が降っているのにはガックリ
(天気予報では静岡、山梨は雨になっていたから恐れていたのだが・・・・)
雨具を着込み、ザックカバーをし、しっかりとスパッツも付けて準備したが
1時間ほど天候を見合わせていたものの満を持して頂上を目指した。
(このまま下山でなくよかった・・・)

途中で雨は強くなって横殴り、ヘッドライトの灯りが雨粒に反射してキラキラ光る。
気温は13度から10度まで降下して素手のままでは体温損失が激しいので
軍手をしたのだが、効果はなくて高度と寒さで一歩が遅くなるも
ガイドの真後ろを歩いて頂上(正確 には最高点ではない)に到着した。
2:30では小屋も開いていないし、ご来光も期待できない。
ましてや風雨が強く「お鉢巡り」はおろか「剣が峰」へすら行かないとガイドは云う。
皆も寒さに震えて、早めの下山に同調した。

驚いたのは休んでいるのか小屋が開くのを待つのか貧弱なビニール合羽に
身を包んで雨傘を開き、小屋の庇の下に蹲る人たちが多かったこと。
われ等は一刻も早い下山を望んでおり下降を開始した。
途中で直近の小屋での休息をガイドが交渉したのだが満員とかで断られ
結局、出発した「元祖室」に戻ってザックを降ろすも、休息はとらずに
1時間ほどの休憩でゆっくりと下山することになった。
(到着後の休憩する店が開くのが7:00との事でその前に5合目に着いても
かえって冷えた体にダメージが溜まるために歩きつづけることがベターとの判断)

一番恐れていた須走り下山道のガレ道は雨に濡れて砂埃も発たず
小石も雨で安定して一度も石車に乗らずに下降できた。
結局、ストックを取り出すこともなくて時間が長かっただけで筋肉にもプレッシャーはなく
一夜明けた本日は筋肉痛のない階段降りを実現できた。

持参したGASコンロで頂上珈琲も味わうことができず、暑さ対策で持参した
水分もだいぶ余ってしまったが寒さ対策の衣類や雨具は活躍した。
久しぶりに雨の中での歩行、この2日間で富士山の全容を見ることは一度もなかった。

リベンジ?どうなるかな・・・・
 

2010年08月12日

チェリー・ボンブ(カプサシンはAA)

富士山登山で少なからず影響を与えてくれた憎き「台風」(当日はまだ沖縄付近)が
本日、新潟県の佐渡沖を通過して秋田県に再上陸した。
待ちに待った雨が昨夜から降り始めて乾ききった大地に見る間に吸い込まれてゆく。
水害で被害を被っておられる方々には申し訳ないが
灼熱の「魚沼盆地」に住んでいると今年の雨は有り難い。

幸い炎天下で取り終えた畑の雑草は一日でカサカサになって堆肥置場に納まったし
その後に降った雨で残った草は抜きやすくなったので明日は一掃作業ができる。
馬鈴薯は全滅、トマトは8割ほどの成果、「辛いもの」シリーズはこれからが
採取時期をむかえるわけで、まずは「チェリーボンブ」が採れ始めた。
今年が初めてのチャレンジで写真で見た「ミニトマト」に似た形と色が良かったが
果たして採れ始めたものはまさに「ペンダント」にしたいほどの色・艶で
包丁を入れるのが惜しいほどの美しさである。
まずは「茄子味噌」に入れたのだが期待したほどの辛味は無い、
「ハバネロ」「ハラペーニョ」に比べたらまだまだ初心者向きのカプサイシン・・・
恐らくタネを殆ど抜いてから使った為であろうかと思われるが
次回は肉詰めをして味わう予定。

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真っ赤な宝石・チェリーボンブ


初夏に採取して乾かしておいた「アサヅキ」を採り込んだ、
この辛味は所謂、唐辛子系のカプサイシンと異なって、どちらかといえば
玉葱系の辛味であって麺類の薬味として利用される。
剛の者はこれをアテに日本酒をグイグイやるらしい・・・
小生は細かく刻んで冷麦の薬味がせいぜいだろうか。

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程よく乾いて食べごろのアサヅキ

さて明日は旧盆で、都会からのUターンと墓参、そして大宴会が企画される
年に一度のハレの行事である。
行きつけのスーパーにも日頃と異なる商品が並び、何時もと違う人たちが店内をウロウロしている
希薄となった年中行事も「盆と正月」だけは日本人の琴線に触れるのだろう。
しかし帰る所が無くなった小生にとっては日常性の延長でしかない・・・

2010年08月13日

夕餉の風景

お盆というわけでの特別な料理は作らない。
まだ就職する前に生家で過していた頃は「お盆」といえばやはり特別な日であって
墓掃除、お供えの祭壇作り、迎え火、翌日は訪問客の接待・・・・
物心ついた頃から父や長兄の手伝いでその手順なども覚えたものだったが
就職を期に脳裏からすっかりと消えてしまった。

就職して首都圏で働いていた頃は偶に帰省すると母が作った料理や
仏前に飾られた祭壇が遠い思い出を呼び起こしてくれた。
(青々としたカヤで編んだ簾の上に賽の目に切った茄子、胡瓜などの野菜、
 籠に盛られた桃や西瓜などの果物が印象的であった)
お盆料理といえば「エゴ」で、佐渡などで採れたエゴ草を水に晒してゴミを取り
エゴ草が溶けるまで煮て型に入れて固めた「かん天質」満載の海草料理、
これを芥子醤油で食べるのが涼味十分の下越地方のお盆である。

母亡きあとは生家を訪問する回数はすっかり減ってしまい
「エゴ」はたまに自らが作るのみで
遠くなる一方の思いですら喪失しつつあるのが悲しい・・・・
戦後間もない食卓には今では想像もできないような食べ物が並べられたと
兄姉から聞いていたが、自分自身でもかすかに覚えているのが「イモのツル」だけ
サツマイモの蔓をいろんな調理方法で食べさせられた記憶がかすかにある。
卵などは贅沢品、肉は自宅で飼っていた鶏を年に一度くらい絞めて食べるだけで
野菜中心の食生活は育ちざかりの幼年期にはつらいものであった気がする。
しかしそれが現実の兼業農家の精一杯の食生活であって、
終戦記念日が近づくと「スイトン」とか「大根飯」とかが話題になるが
食べるものがあればまだ幸せだったという話も聴く。

バブル期をピークに現在の食生活はあまりにも飽食すぎて、
満腹になるまで食べて、今度はダイエットのために努力をするといった
全く信じられない生活がスタンダードになっているのは信じられない・・・

ひところマスコミで持て囃されていた某女性作家の週刊誌でのエッセイに
著名人とワインと豪華な食事をしてその後にダイエットを繰り返す様を
自慢げに書かれているのを読むとそのだらしなく太った容姿を思い出し失笑する、
その作家の書く小説は読む気がしなくなってしまうのは自分だけだろうか・・・・

さて、我が家の今夜の食卓。
メインは馬鈴薯、トマト、玉葱、Gアスパラをチェリー・ボンブの辛味で炒め
キンチャン・ハムのショルダー・ベーコンで味を調えたもの、
調味料はオリーブオイルと塩、胡椒のみである。

サイド・メニューは定番の「枝豆」、モロヘイヤのお浸し、牛蒡の叩き煮、おぼろ豆腐
オイル・サーディン、鮭の燻製、胡瓜の糠味噌漬け、茄子漬け
いずれも家人がお土産で購入した品と地元野菜で作った料理だ。
お土産以外はとりあえずスロー・フードなんだけど・・・

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今夜の食卓

2010年08月16日

あえて猛暑登山

14日、前夜に飲みすぎた体をもてあましていたら
10:00頃にS氏から電話があって「里山トレーニング」のお誘い・・・
気温は30度を越えていたし気力が減退していたが
軟弱な考えを払いぬけ重い体にムチ打って出かけることにした。

水とGASコンロ、コッヘル、タオルだけをザックにほおりこんで
自宅から歩いてお盆休みでやや車の通行が激しい道路端をトボトボと歩く。
とてもトップを歩く気持ちがないので最初から「クモの巣払い」を兼ねた
先導をS氏に任せて歩き始めたが最初のチェックポイントで早くも
息切れが激しく汗まみれになってしまった。

第2チェックポイントまではなんとかS氏の数歩後を歩けたが
もう諦めてマイペースに変更、太陽は顔を見せていないものの風がなく
湿度たっぷりの生あたたかい空気が体にまとわりつく、
いつもなら最後の階段はリズミカルに足が出るのだが今日は重い・・・

あえぎながらなんとか休憩舎に到着したらなんと他の登山客が3名居た。
500mLの水を数回に分けて飲み干してから横になり荒い呼吸を整えるも
熱中症かなと思えるほどの辛さ・・・・
S氏の淹れてくれた珈琲を飲む頃にようやく体を起こして時折吹いてくる
風に熱がこもった体をゆだねていたら正常に戻った。
下山時も噴出す汗はボタボタと落ちて久しぶりのつらい里山詣であった。
甲子園の灼熱球場で動き回る少年達に敬意を表したい。

2010年08月20日

はるかな尾瀬♪

よく「手作りハム」を買う工房の主、Kチャンに誘われて
「尾瀬・燧ケ岳」へ出かけた。
尾瀬には今まで幾度となく訪問したが、「燧ケ岳」には登ったことがなかったので
あまりの暑さにうんざりしていた事も後押しして快諾。

崩れそうな天気予報で心配された天候も全く問題なく
5時に自宅を出てシルバーライン、銀山平、奥只見湖湖畔、鷹の巣を経て
2時間で桧枝岐の「御池」に着いた。
湖畔のカーブが連続するコースはあまり走りたくなかったが最短コースでもあるし
午前中に核心部を登り終えるにはなるべく早いスタートということもあって
出発時間や沼山峠までのバス時間を逆算しての行程を組んだ。

おかげで御池ではバスを待つ事無く乗れたし、沼山峠ではゆっくりと朝食も摂れた。
尾瀬沼までは散歩道のようなもので木道を早足で歩く、
大江川湿原は夏の花はすっかり咲き終えて秋の花が咲き始めていた。
木道をビジターセンターまで行かずに沼尻方面に右折して数分、
さらに右に分岐してから「燧ケ岳」への長英新道が始まる。

予想どおりぬかるんだ水平歩行が待っていて、約1時間ほどの
林間コースを足元に気を取られながら歩くと少しばかり汗ばむ。
ようやく尾根道が始まったとおもったら森林限界を超えてしまい
潅木の間からは双耳峰が見え隠れする。
登山道の両側はアキノキリンソウとリンドウが咲き乱れ
早くも秋の訪れが感じられる花の世界である。

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登山道脇に咲く秋の花々(アキノキリンソウ、リンドウ)

沼尻からの登山道が合流し休火山である「燧ケ岳」の昔の火口付近に沿って付けられた
登山道が急勾配になると突然に山頂が目の前に現われた。
なんとあっけない、3時間の予定が2時間で山頂に着いてしまった。
眼の下には尾瀬沼、尾根を越えた尾瀬ヶ原の外れには至仏山も見えた。
曇天を覚悟していたから」この眺望には満足、あとは雨に遇わずに済ませれば・・・

遅れていたK夫妻も到着し、早めの昼食を食べたり記念写真を撮ったり
1時間の大休止後に今度はバスに乗った御池目指して駆け下りる。
山頂を回り込むと足元にはこれから通過する2つの湿原が遠望できるが
かなりの標高差を下降することになるわけでうんざりする。
いつでも下山は憂鬱になる、もともと足の小指が靴擦れする持病があって
3足ある登山靴のなかでもこの靴はあまり相性がよくないからだ・・・・。

山の中腹にある高層湿原は静かで花のシーズンは終えていたものの
点在する池糖が遠くから見ると緑の絨毯にこぼれた水滴のようだ。
その真中に設置された木道を軽やかに歩み、高度を下げてゆく。

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熊沢田代湿原

木陰に御池の駐車場が見えてから10分、ひんやりとした樹林帯の
木道をひたすらに歩くと三条の滝からの道と合流し、駐車場の外れに出た。
予定にしていた14:00を少し切った時間で到着、
心配した午後の雷雨にも遇わずに登山行程を終えた。

銀山平でKチャンの親戚が経営する温泉宿で汗を流すことにしてひたすらに
湖畔の道路を走るが、やはり昼間はクロスする車も多く
慎重にステアリングを操るが、都会からくる大きな車のオーナーは
細い道の走り方が下手だと舌打ちをしてしまう。

一風呂あびて下界に下りてきたら魚沼の里はやはりまだ暑い!
夕餉のビールはいつもの倍量が胃袋に吸い込まれた・・・・

2010年08月23日

キノコが・・・

土曜日の宴席にてS氏から里山トレーニングに誘われた。
彼は2日続けてのトレーニング、小生は土曜日のお誘いメールを見なくて不参加だった、
日曜日は涼しいうちにと7:30に拙宅前にて待ち合わせて徒歩にて大力山へ・・・

前回の熱中症もどきの症状を心配して歩き始めたが朝方の涼しさでなんとか
頂上までたどりついた。
登山道はカラカラに乾いていて枯草が靴の下でカサカサと音をたてている、
今年はまだマムシの姿もみていないから心配していたら
彼等も涼しい場所に退避しているのではとの情報で安心・・・・
今年は大力のマムシを捕縛することもテーマだったから。

暑い夏はスズメ蜂の活動が活発になるとの記事を読んだが
あまりの暑さの為か、昆虫の類の姿もあまり見受けられない里山である。

半裸状態で珈琲を飲んでいたら一人の若者が登山道を走り登ってくる。
「トレイル・ラン」ですかと聴いたら「山岳マラソン」のトレーニングとのこと、
そういえば「浦佐山岳マラソン」が近いのか、若いときに一度だけ参加したなと思い出した。

登るときには気がつかなかったが、S氏が昨日見つけたキノコを撮影。
500mLのペットボトルを隣に置いたので大きさもわかるようにオバケキノコ、
まだ図鑑で調べていないが白いキノコは美味そうではない、
今度は登り口付近の杉の木の根元で茶色のキノコを発見、
これも肌がシイタケに似ているがなんとなく食べられないような・・・・

この暑さのなかで育つキノコは不思議だ・・・

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白くて大きな笠をもったキノコ

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肌が干しシイタケのよう・・・

2010年08月27日

恒例の夏祭り

昨夜は花火が心配された雷雨の影響もなくあがり、
仕事の電話対応をしながら垣間見た最近の花火は凝っていると思った。
打上の点火はそれなりに電子化されているようだが玉の製造はけっこう
アナログであくまでも手作業だというのはある番組で紹介されている。
そんな環境下で新しい花火が創作されるのはさすがに日本らしいと思う。

さて、今朝は所用があって銀行まで行ったのだが、夜店で売られた食べ残しの残骸が
そこここに散乱していてまるで上野の花見客が去ったあとの公園みたい、
町内会の人達なのか宴の後始末をしている姿を見てどこも同じで
道路端に弁当の空き箱や飲料水のペットボトル、もっと多いのはタバコの吸殻を
平気で捨てる成人の姿を見て子供たちが罪悪感もなく真似をするのだと
少々情けなくなってしまった。

ちなみに我が町内会の心有る夫婦は朝の散歩でコース上にあるゴミを拾っている。
片やそのような人がいるのに平気でタバコの吸殻を道路や川に捨てたり
犬の糞を草むらに隠したりする大人がいることはその人の育った環境とか品位を疑う。

さて今日は10時頃に樽みこしが3つほど町内を廻った。
小学校低学年、高学年、成人といった区分けであろうか、子供みこしの人数が
増えたわりには大人の神輿の人数が少なく、これも現代の世情を現しているのだろうか。
この祭りが終わると一気に秋めいてくるのだが・・・・

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小学生低学年の神輿、ややお疲れモード

2010年08月29日

なんか変だぞ・・・

日本列島を襲っている熱波といい、3年続きの北海道の異常な雨、
都心にあらわれた猿や今の時期には珍しく熊が道路に出てきたり・・・
野菜の生産も今までの概念では成り立たず、大変な事になっている。
まあ、シベリヤ凍土までが焼失してしまう現実が片方にあり
無秩序に開発を続ける中国大陸の水害の姿はついこの間の日本の姿だ。

昔は北海道は梅雨もなく台風もこないしクーラーいらずと言われていたが
北海道のタクシーだってずいぶん前から クーラー入っているようになったし
札幌市内は昼間はけっこう暑くなった。
1昨年からの2年続けての北海道出張は雨に悩まされていたが
あの道路が決壊してヘリで観光客が救助された「天人峡温泉」にも
昨年の晩夏に行っって泊まったけど、あの道はたしかに川と急峻な崖に挟まれていて
こわい感じだった、やはりなあ・・・と思った。

日本の昔の農水省事業で「林道政策」は林業という斜陽産業を助けるという美名のもと
山肌を削り、自然崩壊の元を作ったばかりか毎年その林道を整備するために
税金を注ぎこみ、利用者がいない林道は荒れ果てているのに業者のトラックだけが
ガンガン走っている実情が多く見られるのはどうして・・・・

日本の国土は川が滞留することなく海に流れ出すために治水は大切であるけれども
コンクリートで護岸工事をしたりする事が果たして正しいことだったのかという解は長い時間を
もって如実になるのであって性急な結論をだせないが、生態系への影響は出ていて
この魚野川での天然のアユなどは夢見たいな事になってしまったし、
外来生物や植物があらゆる場所に生息するようになった。

先日は山から美味い水をペットボトルに詰めて持ち帰ったのだが
上流に人間の営みがない川や湧き水を探すのは困難になりつつある。
あの上高地の梓川などは見た目は綺麗だけど上流にある山小屋や登山道を
考えると決して静謐でないことはわかるのだけれども・・・・
渓谷で川遊びして子供が無意識に口にする水と塩素で消毒したプールの水と
同次元で語ってはいけないと思うが、インドのガンジス川での沐浴と水葬の関係
東南アジアの川と密着した生活をしている人たちと蛇口をにねれば飲み水が
簡単に手に入る日本の落差は大きいから「水」に対する認識が浅いと思っていたら
昨今はコンビニ等でペットボトルで水を買うのが都会では普通になった由、
いずれ、蛇口から水が出なくなったりして・・・・

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