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2010年04月 アーカイブ

2010年04月03日

大倉山を目指して

前夜遅くまで読書していたので久しぶりに遅く起きたら
7時頃にY画伯から電話があって天気が良いから山への誘い。
前線が通過するから近くの山ならばと8時出発で合意して
そそくさと朝食を終えて身支度をする。

お茶と昨日N氏から頂いた「カツサンド」と日本茶のみをザックに入れて
かなりの軽装にしたもののピッケル、スノーシューだけは持参。
アイゼンはスパイク長靴を履くことにしたので持参せず

地元の山の会に所属するI氏の車に同乗して「三叉」へ
除雪最終地点に車を停めてすぐに尾根にとりつく。
まずはTVの共聴アンテナが建つピークまで残雪の斜面を歩き
そこからは細い稜線をたどりながらピ-クをめざすが
途中で他の2人はアイゼンと付けピッケルを手にしたが小生はピッケルのみ。
先日オークションで入手した「シヤレル・モーゼル」のメタルシャフト
を初めて使ってみたが長さ、重量も丁度良い。

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痩せ尾根にてI氏

唐松から延びた稜線に出る手前でI氏が終了宣言、
この先はやや雪の状態が不安定でもあり、天候も急激に変わりつつあった。
春霞にけむる荒沢、駒、八海山を見ながら早めの昼食をとり早々に下山にかかった。

風が強まり黒い雲が押し寄せてきて雨粒がポツリと当った。
早めの撤退が良かったのだろう、車に乗ったとたんに雨脚が
やや多めになった。

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融雪用に撒いた土と炭がらの不思議な模様

2010年04月08日

不思議な夢

このところ夢を覚えていることが多くなった。
昨夜の夢は自分が居る大きな部屋全体が高層ビル街を飛翔していて
それはまるで低速の飛行船のようでもヘリコプターのようでもあった。
ビルの間や吹き抜けのフロア内を自由に移動していたが
その部屋では会社の同僚と窓から見える風景を楽しんでいるであった。
なにやら美味しいものを食べながら談笑していたから
パーティか何かだったのだろう。
なんとも不思議な楽しい夢であるから今夜は続きを期待している。

夢といえば若いときに良く覚えていたのが体が空を飛んで故郷の野山を
俯瞰して自由に滑空しているのを何度もみていたから
ひょっとしたら自分の前世は「鳥」でなかったのかと思ったりしていた。
その後は小さな飛行機に乗って狭い土地から飛び立つ夢もよく見るから
これはウルトラ・ライト・プレインで空を飛ぶ憧れがあるのかもしれない。
また自らが水面を泳ぐわけでもなくスルスルと動き回っている夢もみる、
これはミズスマシなどの水中動物の視点で水中の風景を見ているのだろう。

これらの夢の起因は読んでいるそれまで読んでいた本の影響かと思うことがあるが
いずれにしても空を飛んだり、水中を自由に動き回ることは
科学の発展によっていずれは実現するのだろうけども、とりあえずは
夢で体験できるなら大いに楽しんでみたい。
一般的に云われる「夢のような」とはこんな事をいうのだろう。

現実的な夢としては幼少の頃に今は亡き両親と春の山や畑で過ごしている
懐かしい風景は容易に受け入れるものの、
おいしそうなご馳走に手を出してもなかなか食べられない時や
岩場を攀じ登っている途中で奈落の底に滑落してしまうものは
「これはきっと夢なんだ」と意識が覚醒しているから勝手なものである。

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庭で咲き始めたショウジョウバカマ

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芽を出した露地植えのアイヌネギ

2010年04月12日

晴れ間をみつけて野外活動

晴れの日が長続きせずになかなか残雪歩きの気力が高揚しない。
驟雨のなかで溶けてゆく雪の様をぼんやりと眺める日が多いのが悔しいけれど
ネット天気予報で未明からお日様マークが出ていたので
満を持して「みつまた・かぐらski場」へ久しぶりのゲレンデスキーに出かけた。

例年ならば暖かな陽光を浴びながらの春スキーのはずが
ゴンドラ乗り場には冷たい風が吹いていて軽装の衣類を恨んだ。
それでもヒートテックシャツは心強く、真冬衣装のスキーヤーを尻目に
トレーナーの上にウィンドブレイーカーのみでザックを背負った。
ザックの中味はカメラ、日本茶、水、軽食などでそれなりの重みがあるが
ウェストベルトがヘビーなので滑りを左右するものではあるまいと思っていた。

平日の半日券、それもシニア割引なわけで軽やかな気持ちで、
ゴンドラと幾つかのリフトを乗り継いで最上部に到着した。
リフト降り場には「コース外滑降禁止」と「山スキーヤーへの注意」看板が
かなりの強いコメントで掲げられていた。
最近はコース外を滑るボーダーが雪崩を誘発したり、未熟な技術で樹木と激突する
事故が多いし、先日はこのゲレンデから苗場山方面に出かけたボーダーが
下降方向を誤って遭難騒ぎを起こしたばかりだから尚更であろう。

さて今回のスキーは年齢とトレーニング不足を認識していたので無理はしない、
「みつまたエリア、かぐらエリア」の全コースをトレースする気持ちで挑んだが
緩斜面はパスしたので8割ほどの斜面をすべることができた。
チャレンジとしては最後の30分ほどにコブ斜面に挑戦しただけで
ほとんどが圧雪ピステにて遊んだのみ。
午前券の時限が迫っている1時間ほど前には簡単な斜面で2回も転んだ、
それも後傾でお尻から転んでしまったことに体力の限界を感じて
潔く撤退を決意し、早めに下りゴンドラで下界に向かった。

魚沼の里にたどり着くと暖かい陽射しが待っていた。

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ゲレンデ最上部から越後三山方面を望む

ムジナ沢歩行

さて「みつまた・かぐらski場」の翌日は東京からスキーと山を楽しむ為に須原の小屋に
N氏がゲストを連れて来る予定になっていた。
計画ではシールを着けた山スキーで「浅草岳」に登るつもりでいたのだが
出発時間と雪の状態を考えてスノーシュートレッキングにするつもりで
スキーは持参せず須原に向かったが、なんと「妙齢のご婦人」が新たに加わっていた。
男3人のトレッキングと思っていたのだが、留守番をしているという彼女を
こんな良い天気でフィールドに出ないのはあまりにもかわいそうなので
強引に説得して、たまたま持参していた予備の林間歩き用のスノーシューと
古いスパイクシューズを貸すことで納得させ皆で小屋を出た。

地図はもともと「北岳」までのものしか持っていないし、「ムジナ沢左岸」の
尾根に取り付く予定でいたのだが、入口を誤って「右岸」を進んでしまう。
ムダな歩行はかなりの高巻きになってしまい「左岸」へ渡る為に沢に下降する
最後の斜面をトラバース中になんと自らが滑落してしまった。
途中で停まるだろうと思っていたから慌てなかったものの
情けない格好を見せたことで後続メンバーが恐怖感を持たないことを願った。
それでもなんとか丈夫そうなスノーブリッジを捜して「左岸」へ渡り、
尾根に上がる事を諦めてひたすら沢の中を歩き続けた。
カンジキ1名、林間用スノーシュー2名を引き連れての
あの急峻な尾根への登り返しは体力、気力も無理だろうと思った。

何箇所か流れに直接、斜面が落ち込んでいる所を
トラバースする場所があったが、雪が腐っていなければ通過は不可能だったろう。
アイゼン着用が必須であれば撤退か高巻きしかありえない。
あとで振り返ってみると初心者の女性を連れてよくぞ通過したものだと
ぞっとして反省をしてしまった、Jちゃん、怖い思いをさせてごめんなさい。
やはりピッケルとザイルくらいは持参していないと、もしやの場合に不安だ。

11:30、ムジナ沢の8合目あたりで登高を終了した。
各人の疲労度や時間的な事も考えての決定で、これは適切な判断か・・・
誰も居ない沢の真中でコンロで湯を沸かしてお昼を食べて寛いだ。
雪に囲まれた静謐な空間、なんという贅沢な至福の時間帯であることか
静かで穏やかな渓谷だ、ナダレの恐れの無い沢だからできる事なわけである。

トレイル・ランやボルダリングをやっているN君は余裕で小生の後ろをピッタリくっついて来たし
まったくの素人の「妙齢のご婦人」Jちゃんはダブダブの長靴にもかかわらず
大きめなスノーシューをコントロールして睡眠不足をモノとせずに登ってきた。
このコース2回目の小生とN氏はややお疲れモードであったのが現実で
やはり年齢からくるものを感じたツアーであった。

さて下降は速い、ひたすら左岸を歩み、スキーのトレースと
薄くなったカンジキの跡を探しながら樹林帯を抜けたら
浅草山荘の裏側に出た。
そうなのだ、ここから登るべきだったのだ!!

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ムジナ沢上部で寛ぐ仲間

2010年04月13日

井上ひさし逝く

「吉里吉里人」の本を見たときはそのぶ厚さにたじろいだものだ。
果たして最後まで読み終えることができるか不安だったが
思いの他のめり込んで3日ほどで読み終えた。
SFだけども日本国家への大衆の怒りとか民俗意識とか
何となく具現化しそうな当時の日本列島だったと記憶している。

東北人の井上氏らしい中央集権制度を皮肉った内容が強く、
その頃はどちらかというと「みちのく」に憧れていた自分にとって
心の内側に快く響きわたる物語であった。

さてその小説のなかで語られている話し言葉としての「盛岡弁」の方言で
「・・・でがんす」という文末表現に出会ったのは読後すぐに友人と一緒に
青森県と岩手県の県境近くにある「一戸」へ旅をした折であった。
友人の知合いの実家にお邪魔した折りにそこの老夫婦がまさに
その方言を使っておられたのを強い印象をもって受け止めた思い出がある。
確か女性は「・・・でやんすな」と柔らかな文末が印象的だったし
穏やかな寒村の古い民家の座敷に通されてお茶を馳走になり
老夫婦の話を聴いていたのを今でも思い出すことがある。

井上氏は独特の価値観をもって常に文明社会に対して
問題提起をするエッセイを発表したり小説や童話を書いてきたが
現在の日本の状況に対する辛口の提言をする論客を失ってしまい残念である。
合掌  

2010年04月19日

初物づくし

魚野川下流の河川敷で採取された「コゴミ」をもらった、
自分が採取する場所よりもだいぶ下流域らしく型が小さかったが
初物というわけで全量を下湯でしておいた。
昨夜はそれをオカカを振りかけただけのシンプルな「お浸し」として頂いたので
今夜は「クルミ和え」にする予定である。

スーパーの店頭に並んでいた「ワサビの茎」が白い花を付けて
早く買ってくださいとばかりに流し目をくれていたので残っていた2束を籠に入れた。
ずいぶんと昔に出張で出かけた安曇野の宿で
これの「酢漬け」と「醤油漬け」が食卓に並んだ。
まだ「わさび茎」が一般に流通される前で生産者に近しい人たちだけが楽しむ
珍味なんだと宿の主人に説明されて有難く頂いたのが最初で
その後はいろんな場所で見つけると買っては酒の肴になっているのである。

さっと洗って2、3cmに刻んでからザルに並べて熱湯を満遍なくかける、
(これはアク取りと辛味を増すためで、茹でると辛味は薄れる)
荒熱がとれたら容器に移して醤油を振りかけて3時間、
独特の薫りと辛味が日本酒に合う。

天候不順で冷たい雨が続いていたせいか
数年前に伐採現場から中心部が腐って空洞になったナラのコロを
運んできて花壇に備え付けるつもりで玄関先に転がしておいたら
なんと「ヒラタケ」が生え初めて今年最初の「天然キノコ」を
食べる機会に恵まれた。
まずは今朝の味噌汁の実として食べたので
残りは明日あたりにガンモと煮るかなと考えている。

2010年04月21日

野菜高騰につき

天候不順で野菜が高騰しているのだが
どうしても「キャベツ」や「レタス」を食べなくとも
昨秋や冬の合間に頂いた大根がまだ数本倉庫に眠っていたものを
食べることにして雨の肌寒いひと時、厨房に立った。

昨日買っておいた「牛スジ」と炊く「牛スジ大根」は定番で
アク抜きをした「牛スジ」と下茹でした大根の輪切りをニンニクと日本酒、醤油で
味をつけるだけのシンプルなものが一品。

2日ほど前に作った「鶏肉ダンゴ鍋」で余った「鶏肉ダンゴ」、
(ムネ肉とモモ肉の挽肉を摩り下ろした蓮とカタクリ粉、鶏卵で団子に)
毎週、移動販売に訪れる十日町のお豆腐屋さんから買うガンモ、
車麩を入れて昆布と鶏肉ダンゴから染み出したエッセンスだけで炊いたもの一品。

あとは干物か佃煮でもあれば十分な食卓になるのだが
誕生日祝にと思って取り寄せたスパークリング・ワインと同梱した
安いワイン、近所のスーパーで仕入れたこれも安いワインを立て続けに飲んだ。
オーストラリアとスペイン産でミディアム・ボディだけれども
まあ日本食との相性はまずまずとしよう。

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3日に渡って飲んだワイン

2010年04月24日

太陽の活動周期と地球の環境

11年周期といわれる太陽の活動が極小期ピークを過ぎて
これからいよいよ次の周期に突入すると云われている昨今であるが
地球規模の気候変動、地殻変動(地震)との因果関係は立証されておらず
科学者単位に諸説あるもののこの数年の動きだけでも確かにおかしい。

いつもなら水田の土は乾いて田起こしが始まる時期なのに
所によってはまだ雪が残っていたり、雨続きの天候によって水が張っている。
GWには野山はまだ雪が深くて登山客以外は近寄らないから
山菜フィールドは寿命が多少のびたような気がする。

このまま異常な低温が続くと野菜のみならず米作りにも影響するはずで
いくら米飯ばなれしたとは云え米不足が如実になる恐れがあるだろう。
昭和初期の2・26事件の引き金が東北を襲った飢饉だったという説もあり
政府の舵取りがあやまると大いなるパニックが日本を始めとして世界規模に
広がることを否定できないのが小生の説

さてそうなると今まで見過ごされていた食べられる野草(所謂、山菜といわれている)
に対する乱獲が顕著になってくるのが問題だ。
それでなくともせっかく来たのだからと根こそぎ山菜を採取する街場の人たちの自己チューは
目に余るものがあり、地元の地主とのトラブルが多いのが現状。

2010年04月26日

里山散策と薪運び

樹木が水を吸い上げる前にと「伐採」の依頼があった。
B翁はいろんな意味で師匠であるが、もうすぐ78歳を迎える高齢なので
伐採などの仕事ではもっぱら小生が手足となって師匠は指導する側になっている。
今回は師匠が管理する養鯉用の池の辺にあるミズナラの伐採であるが、
数年前に伐採した大木に比べたら約半分の太さであった。
それでも伐採には神経を使って師匠が見守る中久しぶりにチェーソーを握り
目標の方向から1、2m逸れてしまったが無事に伐採した。
週末の晴れ間に運ぶ予定で大まかな処理だけして帰ったのが数日前である。

さて土曜日は午後から太陽が顔を出したので運搬直前までの処理作業、
ミズナラは思った以上に重くて40cm弱に刻んだ丸太はヒョイとは持ち上がらない
一度膝の上に置いてから徐にお腹の上まで引き上げて歩き出す。
ヨロヨロと数メートル歩くだけであるが腰はギシギシ云いだすし
腕にはシビレが出始めてくる。
それでも1時間ほどで細かい枝の切り揃えや道路脇への山積みを終える。
幾つまでこの作業に耐えられるのか自分の肉体を労わるとともに
夕方のビールの美味いことを期待して現場から帰った。

よく日も朝から良い天気だったので朝食後、一本杉へ出かけた。
目的は「カタクリ群落」の観察とブナの芽吹きを確認する為で
まだ所々に雪が残っている遊歩道を折れたブナの枝などを取り除きながらゆっくりと歩く。
杉林の中ではショウジョウバカマとイワウチワが咲き始めており
ブナの新芽もいたるところで柔らかそうな幼葉を広げている。
目的の「カタクリ」も丁度、盛りを迎え始めていて30坪ほどの斜面には
反り返った花びらを誇らしげにそよ風にゆらしていた。

午後はB翁の軽トラで「コロ運び」で現場と自宅を3往復、
貴重な燃料を入手して来年の冬への準備をひとつ終えた。

まあまあ有意義な週末であった。

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イワウチワ
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ショウジョウバカマ
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開き始めたブナの新芽

2010年04月28日

春の味は駆け足で・・・

近所の家から雪融けしたばかりの畑で抜いた「人参」と「蕪」所謂「雪下野菜」や「大崎菜」を頂いた。
野菜高騰の折、貴重な緑黄野菜であるからなるべくシンプルなレシピで食することを心掛けている。

N氏の家に行ったら倉庫から取り出した食器の類が山になっていて
好きな物を持って行って良いといわれたので、須原の小屋用にお椀と湯のみ、それに皿などをもらった。
ついでにこれもどうと差し出されたのが、なんと銅鍋、
この鍋は山菜の塩漬けを色良く戻すのに必須の道具であり欲しかったものであるが、
新品を買うとけっこう高額であるし塩漬けは例年少ししかやらないので購入を躊躇していたのである。
ありがたく頂いてさっそく以前にもらっていた「ウドの塩漬け」を煮出してみて
見事にウドの色が緑色に変わる様を確認した。

さて昨日は市街地にある空き地で「ハリエンジュ」を数本伐採する作業をN氏と行うことになった。
道路に面した一本を除いてかなりのハイペースで伐採、整理していったが
最後の最も太くて大きなそれはやや道路側に傾いていて手強そうな気がする。
N氏が下の枝を落として梯子でスルスルと中間地点まで登ってロープを固定
それを離れた場所まで伸ばして体重をかけて彼が確保するなか小生が受け口、追い口と
チェーンソーで切り込んでなるべく車が通過しない時をねらってようやく倒した。
天候を心配しての伐採であったが全数の伐採と小枝の処理を無事に終えて
あとは運搬作業を残すのみにして現場を後した。

このところ暖かい日が続いたら市内の桜が一気に咲き始めて
コブシの白と残雪の山並みのブナ新芽などと見事な調和を見せている。
柳の芽が開き始めたので「コゴミ畑」へ調査採取に出かけたらまだ2分ほどの成長、
あと2、3日が採り頃だろうか。

竹の子ご飯、コゴミのクルミ和え、蕪・人参・春キャベツのサラダ、大崎菜のお浸し
そんな春の薫りに彩られた食卓でヌル燗が美味い・・・・。

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芽を出したばかりのコゴミ

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