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2008年03月 アーカイブ

2008年03月03日

お化け八色菜

先日、喫茶店主N氏から一抱えもある「八色菜」を貰った。
その大きさたるや初冬に出回る「蕪菜」ほどもある。
家人は一目見るなり「今ごろに漬けるの?」と勘違い。
育ちすぎて出荷できない「八色菜」を生産者のハウスからN氏が
採取したものを分けていただいたわけで・・・・・・。

後ほど電話で「大きな茎は外して中のものだけ食べて」と云われたが
そんなもったいないことはできないので太い茎はザク切りにして
サッと洗って水切りをしておく、ニンニクを薄くスライスしたものを
サラダオイルで香りが出る程度に炒めてから八色菜を放り込む、
全体に火が回ったらヒゲを取り除いた「黒豆モヤシ」を加えて
昆布塩で味付け、あとは仕上げにゴマ油を2、3滴でおまじない。

若いときに台湾屋台料理屋で食べた「青菜炒め(チンゲン菜)」を想定して
作ったのだが、油通しをしないわりに鮮やかな緑色は失わずに
歯ごたえもシャキシャキ感は残ったままで美味かった。

「八色菜」「大崎菜」「女池菜」「トウ菜」「小松菜」などと原点は「アブラナ科」
であろうが、今時分は高価な葉物野菜はお浸しがせいぜいで
豪快な「青菜炒め」は久しぶりの中華風お惣菜であった。

N氏のご指導どおり、余った「お化け八色菜」は雪壁に横穴を掘って
保存してある。
(なんとこの状態であれば1、2週間は採りたてと同じくらい新鮮との事)
生産者の皆様、ごちそうさまです。

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雪の貯蔵庫で食べ頃を待つ「八色菜」

2008年03月04日

キムチ・チゲ七変化(へんげ)

数年前に東京は「御徒町」の韓国食材店街の外れにある韓国料理店で
「テンジャン・チゲ」を食べてから「韓国のチゲ(鍋)料理」に対する意識が変った。
もともとエスニックの料理に対する拒否反応はないから何でも食べた。
但し高級な料理は安サラリーでは手が出ないから「その道のプロ」に同行して
深い味わいを享受することになる。

我が友は韓国で仕事で数年間滞在し本場の味を体験しており
帰国後も上野近くの事務所に勤めていたから
あの街(御徒町)界隈には詳しく、
その店でも当然のことにスタッフが在日韓国人であったりして・・・・。
当日は風邪気味だったので「テンジャン・チゲ」を勧められた。
味噌味のスープが濃厚なチゲであったが、ご飯にその具をまぶしながら食べて
気が付いたら汗だくになって完食していた。(当然、風邪は治った)

以来、韓国食材店で求めた「白菜キムチ」をもとに「チゲ」を食べている。
白菜の半株ほどを購入して生食は少々、やがて冷蔵庫で醗酵して酸味が出た頃が
「チゲ」には最高の時期となる。
「豚バラ肉」をゴマ油で炒めてそこにザク切りした白菜キムチを入れてさらに炒める。
それを土鍋に入れて袋に残ったキムチスープを注ぐ、
さらにネギ、シイタケ、ニンジン、ジャガイモなどを加えてじっくりと煮詰める。
そうそう忘れてはならないのが「テンジャン味噌」(所謂韓国の田舎味噌)
最後に豆腐を加えてグツグツと煮えた鍋を食べながら冷えたビールを・・・・。

今回は一応プレーンな「キムチ・チゲ」を作って食べたのだが
翌日残ったスープにさらに白菜キムチと「カキ」を加え、
さらにエノキダケ、ネギなどの野菜をたぷりと入れてみた。
次はさらに「豚モツ」、豆腐を入れた。
その次は「牛スジ」・・・・
「ウドン」・・・・
最後は「ご飯」を入れておじやにした。
なんと最初の「キムチ・チゲ」から2週間、土鍋の「チゲ」はほぼ毎日火が入れられて
バラ肉、牛スジは形がなくなり豚モツは豆腐のように柔らかくなった。

小生は旅に出れば地元の市場を歩くのが趣味だし、
東京に出ればデパ地下を覗くのは事の他大好きである。
そこにあのねっとりとした「白菜キムチ」が積み上げられていたら
つい味見をして買ってしまう、帰りのバックがどんなに
「ニンニク臭く」なろうとも・・・・。

2008年03月05日

啓蟄

例年のことながら「春分の日」前の今ごろは思わぬ雪が降る。
一頃の勢いはないものの昨日から時折強い雪が降ってきているのだが
暦は「啓蟄」を迎えて我が家のテラスに積んである「薪」に潜んでいた
「カメムシ」が蠢き始めている。
冬場はほぼ冬眠状態で薪の間に集団で隠れていたものを手で払っても
パラパラと落ちてしまうが、今ごろになると薄目をあけているのか
薪の窪みに潜んで屋内まで付いてきたものが活動してくる。

明るい所を好むのかガラス戸に張り付いたりカーテンに隠れていたり
夜間に電灯に纏わりついてくる。
かわいそうだが、あの臭いが苦手で(苦手でない人いないか・・・)
ティッシュでつまんでストーブの中に捨てる。所謂「火炙りの刑」である。

旅館などでは各部屋に梱包用粘着テープが置いてあって
それを使って「カメムシ」を捕獲してくださいとメモ書きがしてあるとか。
生殺しの状態で「掃除機」などで吸い込むとフィルターなどにその臭いが
付いてしまって当分の間は不快な思いをするからだと思う。

昨年の「カメムシ」発生は異常に多かった、「スギ花粉」と同じで
夏場の異常な高温が原因かもしれないと云われているが・・・・
あの臭いを上手く利用できたらいいのだけれどもね。

2008年03月10日

上権現堂山

先般、大力山でお会いしたT夫妻からのお誘いで「上権現堂山」に出かけた。
5:00起床、薄っすらと夜があけてゆく様に春の訪れを感じる。
早朝の6:00集合で6:20に登山口に到着した。
渓谷に迫った尾根が朝日に輝いてオレンジ色に染まってきた。
最初はカンジキの予定であったが皆が「スノーシュー」なので履き替える。
農道から水田に入り小高い尾根を登る時は放射冷却で凍みた雪面に「スノーシュー」の
爪がほど良く効いてガリガリと快い音を出していた。

どうも「スノーシュー」の履き方がヘタなのかスパイク長靴との相性が悪いのか
うまくセットが出来ずにすぐに外れてしまって困った。
皆は快調に飛ばしてゆく、初めは防寒具を着て毛糸の帽子を被っていたがすぐに
暑くなって汗ばんできた。まだ朝の7:00だというのに・・・・。

幾つかの杉林を超え、痩せ尾根を過ぎるころになるとブナの林が始まった。
「上権現堂山」は以前に残雪が残る5月に「下権現堂山」から縦走してきて以来だし、
それもこの時期に「上権現堂山」に登ることができる機会を与えてくれた
Tご夫妻に感謝しながらも足を進める。

前日の雪がけっこう積もったらしく15cm程の新雪をラッセルしながらの歩行は
常に先導してくれたTさんのおかげで楽であったが頂上直下の急斜面は
さすがに息があがる。
下から見たら「本当にスノーシューで越えられるかな?」と思ったが
取り付いて見るとそれなりにステップが切れていて階段登りの要領で歩けた。

雪山によくあることだが、これが最後の斜面かなと思って登りきると
また次の小高いピークが現れてガックッリとくる。
もともと「上権現堂山」の頂上はのっぺりとしているので頂上が確定できない。
皆でココ、アチラともめたが結局眺めの良い隣のピークまで歩く。

9:30無事にザックを下ろして、各自写真撮影に歩き回ったり
スコップで雪の食台を作ったりと風の無い穏やかなひと時を過ごす。
なんといっても天気が良い山の頂での食事は美味い、
テルモスの珈琲でサンドウィッチを食べ、T夫人が用意したおかずをつまむ。
ガスコンロの音だけが静寂な山にこだましてひたすらに静かだ。

「あれが檜、その後が毛猛、太郎助・・・」
360度の展望は見事なもので、目をこらせば日本海も見えるかもしれない・・。
さて、長居は無用という事で下降にとりかかることにする。
最初から下が良く見えないほどの急斜面に飛び込むわけだが
なにしろ「スノーシュー」での下降は苦手だ、「かかとに体重を乗せて」という
理論は理解できても登山靴でのグリセードのように上手くはゆかず
ギクシャクとした格好で下り始めたが、案の定登りとは違った筋肉が
悲鳴を上げ始めた。

途中で雪質が変り始めて歩き辛い、
下りとはいえ、沈んだスノーシューを持ち上げる脚に疲労が蓄積、
登りに使ったトレールを使ってもブスブスとぬかるのが精神的に疲れる。
やがて除雪の最終地点に停めた車が見えてきたときには
なぜか走り始めていた。

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山頂付近を歩く

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途中から山頂を望む

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長い下降の始まり

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登りのトレールを辿る

2008年03月15日

チェーンソー購入

3台目のチェーン・ソーをYahooオークションで買った。
刃渡りが50cmほどの長尺ものであったが
送られてきて動作確認時はエンジンが掛かったので安心していたら
その後にバーを付けてみたら全く動作しなくなった。
ハスクバーナの中古だけれども、これはとんでもない物を買ってしまったと
後悔をする。(出展者は動作に問題ないと書き込みしていたが・・・・・)
それではと喫茶店のオーナであり、大型薪割り機の持ち主で且つ
チェーンソーを複数台持っているN氏に相談することにした。

N氏自身も数台の「ハスクバーナ」を持っており、メカニックはすこぶる強く
2サイクルエンジンならば大抵は直してしまうほどのプロなのである。
店の休みの日に工房に持ち込んでみたら目の前でどんどんバラしてゆく、
しかし動作確認をしてゆくがどうもエンジンがかからない。

まずは点火プラグの火花確認、エンジンルームへの燃料の供給、
キャブレータの動作等のチェックポイントを順序良く確認してゆく。
フリーな時間がある午前中で終わらなかったので一度帰宅したら
夕方に電話があって、最終的にエンジンを解体したら原因らしきものがわかったとのこと。
ピストンが傷つき且つピストンリングが焼きついている最悪の状態とのこと。

その状態を確認すべく彼の工房にという事なので駆けつけてみたら
まさにエンジンがバラバラになっていた。
焼きついたピストンリングを外そうとしたら予想どおり折れてしまったが
クランク部分に金属片が落ちていたりやピストンの特定部位に外部からドライバーなどで
傷をつけた痕跡があったりで前の使用者がかなりのトラブルを抱えていたことが
見受けられた。

相当に古いモデルであったけれどもパーツリストが見つかったので
販売代理店に電話して「ピストンリング」を注文した。
2日ほどで部品が届いたので再び工房へ届けたら、その日のうちに電話があって
エンジンが動いている音を聞かせてもらった。
1時間ほどでピストンリングを嵌めてエンジンを組み立てたという。
さっそく取りに行ってエンジンが軽快な音を出しているのを確認、
エンジンのアイドリング調整方法などをご教授してもらった。
(まさにプロの腕前!!感謝感激・・・・)

さて翌日は汚れたオイルを灯油で洗い、20:1の燃料を作成する。
渾身の力をこめてウオームスタートしたらエンジンはかかった、
アクセルを吹かすと停まるのでキャブレータのL調整をしてみる。
数回の調整でエンジンスタートは完全になった。

次はバーとソ-チェーンを取り付けてチェ-ンの張り具合や動きを確認、
試し切りをしたら停まってしまったので今度はH調整が必要かと思われたが
本日はこれにて作業終了、
明日にでもソーチェーンの刃を研いでH調整をしてみよう。

最初に買ったスチールの新品もすでに10年以上の中古になって
かなりヘタリが出ているので、これは一度整備してサブ用にする事にするつもり。
昨年買った新品のハスクは40cmの長さだし、エンジンも調子が良いから
当分はこれがメインで長尺ものは大きな木を切る時のみにする予定である。

3台そろって完全に動作可能になったらリッチな気分になってしまう。
これからは少しばかり2サイクルエンジンの勉強をせねばならないかと
新たなテーマにやや緊張気味である。

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バー取り付け前のハスク254G

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3台並んだチェーンソー

2008年03月16日

久しぶりの大力山

9:00過ぎまで濃いガスが漂っていたが次第に晴れてきたので
トレーニングがてら「大力山」に出かけた。
先行していると思われる車が1台停まっていたので
その後に車を停めてとりあえず「カンジキ」を持参する。
今朝の冷え方では雪の状態はよくないであろう・・・。

先行者はツボ足で登ったらしく踏み跡が深く沈みこんでいた。
カンジキを履いてもかなり沈み込むし歩きつらい、
5分ほど歩いてすぐに半袖のTシャツ1枚になってみたが
額からは汗が噴出してくるほどの気温だ。

最初の急斜面を越えたあたりで先行者の2人連れが下山してきた。
挨拶もそこそこに別れてすぐに次の急斜面に取り付く
足も呼吸もすこぶる快調だが汗が目に入るほど流れてくるのには
閉口してしまった。

前回は休憩舎の屋根に50cmほどの積雪があったのにすでに雪はなく
屋根全体が雪面から出ていたのには驚く。
山でもそうとうな速さで雪解けが進んでいるのだろう。
(もっとも下界でも往時の半分ほどになったのだから・・・)

コブシの蕾は膨らみマンサクの花が咲き始めた。
お彼岸が過ぎれば本格的な春は駆け足でやってくるのだろう。

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大力山休憩舎

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コブシの蕾

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マンサク

2008年03月23日

日向倉・雪上歩き

初めて「日向倉」へ誘ってくれたM氏から今年も誘いがあった。
昨年は雪の状態が悪くて実行できなかったから
今年はぜひにと期待していたので二つ返事で出かけた。

7:00に「深雪の里」集合、数台の車に分乗して
濃いガスがあがりつつあるシルバ^-ラインの入口を目指した。
車窓からは「駒ケ岳」の姿が朝日にキラキラと輝いて見える、
例年に比べたら雪解けが進みすぎて斜面の残雪は少なくなっていた。

銀山平のトンネル出口にはすでに2台の車が停まっていて
1台は前日に「日向倉」山頂に泊まって「未丈ケ岳」へ向かっている
知合いの車、もう1台は先行して手前の尾根に取り付いている
単独行の車のようだ。
我等も道端に車を停めて準備にかかった。
いつもの尾根は単独行が登っている隣にある見晴らしの良い痩せた尾根だ。
道路から雪上にあがると思った以上に雪が硬くて
スノーシューは履かずにツボ足で歩き始めた。
しかし尾根に取り付いたら雪が硬すぎて皆はアイゼンを履き直したが
小生はスパイク長靴なのでそのまま歩けた。
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<<銀山平からの一気の登り>>

M氏はいつもの如く最初から半袖のTシャツに薄いベスト、
小生も途中でセータを脱いで半袖のTシャツとフリースベストにしたが
汗は滝のように流れ落ちている。
1時間弱で急峻な尾根を登りきって
各自スノーシューやカンジキを履いたりして縦走路が始まった。

幾つかの小高いピークを越えて最後の急登直前の場所では
すでにブッシュが顔を出していて今後の天候次第で雪解けが進むと
その場所を突破することにかなりの苦労が発生しそう・・・・・。
急斜面では前日に付けられたスノーシュー跡が有効に働いて楽に登れる。
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<<ひたすらに続く日向倉への尾根道>>

頂上にはテントが3張、風除けのブロックの陰に張られていた。
縦走路の開始時点でトランシーバーで連絡を取った時には
未丈への縦走は途中で諦めて引き返すとのことであった。
スコップ持参のT氏がテント手前に同じように風除けブロックと
食事用テーブルを作り始め、途中でW氏が引き継いで完成。

総勢9名が座れる大きなテーブルで早目の宴会が開始された。
ビール、日本酒、ウィスキーを持参したM氏、メンパ弁当持参した
S氏、遭難救助員であるW氏もメンパ弁当、T夫妻はあいかわらず
豪華なおかずを持参して食卓をにぎわす。
圧巻はM氏の恒例の「味噌汁」、今回は豚肉とモツ、野菜、コンニャクなどが
いっぱい入った豪華なものであった。

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<<遠くに見えた尾瀬・燧ケ岳>>


食事が終わる頃に「未丈ケ岳」に向かっていたM氏の友人達が戻ってきた。
2人は以前に太郎助まで一緒した顔見知りでもう一人は会社の
同僚との事、天候が安定していたとはいえ
雪山の山頂で一夜を過ごすとは驚いてしまう。
昨夜の気温は零下10度くらいまで下がったとの事。

食事を終え、記念写真を撮ったあとは下山するのみである。
腐りかけた雪に足を取られながら荒沢・駒を常に左手に見つつ斜面を下った。

2008年03月26日

初滑り・滑り納め

雨上がりの翌日は快晴の一日、雪解けのスピードは著しい。
2つの目的をもって今シーズン初めて・そして最後になるだろう
シーズンクローズ直前の「須原スキー場」に出かけた。

昨シーズンに新調したゲレンデ用「カービングSKI」は
数回滑ってみたがなんとか使いこなせたのだが
山ski用のカービング板も買ってきてあって
先日、古い板からビンディングを外して取り付けた。
しかしビス穴の径を誤って空けてしまって
ビスがゆるゆるのままになんとかなるかなと思っていたら
見事にシール歩行の途中でビンディングが落ち抜けた。
我が相談相手の技術屋N氏から借りたエポキシで修理したわけで
再度耐力テストを兼ねた滑降がメインの目的。

やはり先シーズンに姉夫婦から貰ったアルペン用板を調整したのだが
1台は190cmもあるサロモンの長い旧式モデル、
(もっとも昔は平気に190cmを平気に履いていたのだが・・・)
やはりこれも一度は履いてみないと納得がゆかずにサブ目的。

平日の午後はゲレンデはガラ空きで1日券も平日サービスで安い、
2台の板をゲレンデに運び上げてクワットリフトを4本づつ滑った。

山スキーは再びビスが抜ける怖さもあってパラレルのみで
ゆっくりと調子を確かめるが、ゲレンデ用板とさほどの違いがなく
滑降強度テストは一応通過、しかしシール歩行に不安が残っている。

190cmのサロモンはこのところ短い板ばかり履いていたのでいささか
扱いにくいものの安定感はまずまず、雪質が最悪のコンディションの割に
一応ウェーデルンもできたから納得、なんとか使えるかな。

現存する現役ゲレンデ用スキー板は4台ほどあって
昨年新調したヘッドのカービング、
古いのは1977年購入のk2のショート(これが一番使いやすい)
OGASAKAのカスタム仕様(これは友人から貰った)
ロシニヨールのスラローム用(あまりに硬くて重くてほとんど履かない)
これにサロモンが2台加わったわけであるが
めっきりスキーをしなくなったからなあ・・・・。

山スキーはアルペン用のKAZAMAにジルブレッタを取り付けたものを
長い間使っていたのだが、長い(185cm)ので扱い辛く重かった。
そこで昨年購入したゲレンデ用カービングにジルブレッタを再度取り付けた。
シールは姉から貰ったものが粘着性が残っていたので流用。

あまり急激に山の雪解けが進まぬことを祈って
山スキーや春スキー用のゲレンデで楽しみたいものである。

20080325_suhara_ski1.jpg

<<須原スキー場・ゲレンデの途中から>>

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<<左からビンディングを外したkazama、salamon、カービングhead、山スキー、愛用のk2>>

2008年03月31日

都心は花盛り

所用があって上京した折に見た車窓からの桜に誘われて
日本橋は「桜通り」の桜を愛でた。
ビル風が吹き降ろす寒い日であった(魚沼の山では雪が降っていた・・・・)
上野や新宿御苑ほどの人出はないにしても
商店会の人たちが出店した暖かいものを食べながら
ホットワインなど頂いて南米のドラミングパフォーマンスを楽しんだ。

ほんの数百メートルの車道はクローズされてテーブルや椅子、
ダンボールが敷かれて老若男女が思い思いに楽しんでいた。
峠のむこうはまだ1m以上の雪が積もっているのに・・・・
などと細長い日本列島の姿を思い浮かべながらの花見であった。

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東京駅の八重洲口側、日本橋までの間にある「桜通り」にて

とんでもない領域に突入した日本

小生は経済学者でもないし株取引もしていない。
でもスワップ取引やジャンク債やゼロクーポンなどの意味は多少理解している。
すべてが金融や証券世界で作られた無機質な商品であって
世界中のマネー(実態のない)を売買している輩が考えたものだ。
パソコンとネットワークの性能強化で「デイトレ」をしている人も多いだろうが、
パチンコと同じで得をする事より損が多いはずである、
素人が得をしたなら機関投資家が困るわけで・・・・。

昔、大阪の米問屋がやっていた翌年の米の生産量を予測して
相場をはったり、その後「赤いダイヤ」と言われた小豆相場などは
可愛いものであろう、すでに数値だけの取引でお金が動いているのだ。
そこには何の生産物はない・・・・。

世界の穀物相場や原油相場は気候や消費量予測だけでなく
「思惑」や「行き先の無いマネー」の溜まり場になっているらしい。
パンや飼料よりも先物取引なのだから恐ろしい。

政治家やマスコミに踊らされて「消費国」になってしまって
食料自給率が最悪になってしまった日本はそんな影響をモロに受けて
すでに食卓や畜産農家は壊滅状態なのだ。

それでも道路を造る事だけを声高に叫ぶ政治家や
それにむらがる市井の民は悲しい。

明日から物価が上がり、暫定税率廃止の影響で一時的にガソリンが下がるが
本質はもっと深い闇に包まれている。
サブプライム・ローンなどという化け物を作ったアメリカの(優秀な数学者?)は
すでに売り逃げをして潤沢な資産をケイマンあたりに移したのだろう。
これから日本の銀行や証券会社、輸出関連企業は蝕まれてゆくのかな?

アメリカがくしゃみをしたら日本は風邪をひくと言われたが
瀕死のアメリカの影響で米国債を買いすぎた日本はその紙屑を
ストーブで燃やして暖をとるしかないのだろうか?

庶民は自衛しなくてはならない、
「後期高齢者制度」や「一部健康診断有料」などの
「厚生労働省」が考えた医療費削減案などはじわりと
日常性を圧迫してくるわけで、
未曾有の領域に足を突っ込んだ日本はどうなるのだろう。

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